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Vol.49 耳を傾けてみてください

タイトル

「虫聞」とは何か

 いま、どんな音が聞こえてきますか。「ミーンミンミン」「カナカナカナ」「コロコロコロ、キリキリキリ」どれか聞こえてきたでしょうか。8月13日〜17日頃は、二十四節気でいうと「立秋」、七十二候は「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」と名付けられていて、「カナカナカナ」はそのヒグラシの声を擬声音で表したものです。日本人は特殊な「耳」を持っています。「耳」とは虫の音を聞き分ける聴覚のことですが、日本人は虫の鳴き声を「言葉」として聞き取るといわれていて、これは特別な才能なのかもしれません。
 西洋人にはこれらの音が単なる雑音にしか聞こえないという説もあるようですが、日本に移り住んだ小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)はギリシア生まれでありながら、虫の音を日本人以上に味得しています。
 たしかに、虫の音を聞き分ける際の脳の働きには、西洋人と日本人とで違いがあるのかもしれません。しかし日本に暮らしていて、日本の風土や文化に浸り、外の音に耳をすませていれば、西洋人にも虫の音が日本人と同じように聞こえてくることを、小泉八雲の残した随筆がよく表しています。
 小泉八雲は虫の鳴き声を「音」どころか「虫の音楽家」とまで表現し、虫を讃えています。
 「やがて皆さんは、きっとそぞろ歩きの歩を止め、幻灯のように光りかがやく屋台を覗き込むことになるはずだ。中には、小さな木の籠が並び、籠の中からはえも言われぬ甲高い鳴き声が聞こえてくる。鳴き声観賞用の虫を売る商人の屋台でいっせいに響いている鳴き声は、虫の声なのだ。不思議な光景で、外国人ならほとんどが誘い込まれてしまう。」
 (『虫の音楽家』小泉八雲著、池田雅之編訳、ちくま文庫)
 さらに、小泉八雲は同書の中で「日本の家庭生活や文学作品で、虫の音楽が占める地位は、われわれ西洋人にはほとんど未知の分野で発達した、ある種の美的な感受性を証明してはいないだろうか」と述べています。
 小泉八雲の言う「文学作品」とは、『源氏物語』や、『古今著聞集』などのことです。『源氏物語』には「蟲の籠どもに、露飼はせ給ふ」と、当時虫を籠で飼う習慣を表す箇所があり、『古今著聞集』には「嵯峨野に向ひて虫をとりて奉るべきよし」「虫とりて籠に入れて内裏へかへりまゐる。萩、女郎花などをぞ籠にはかざりたりける」とあり、「虫取り」に出かける風習や雅な「虫籠」の記述が見られます。
 当時の都人はわざわざ嵐山や嵯峨野などに出かけ、虫の奏でる音色を楽しんでいました。とりわけ、夏の夜の音楽会を好んだようで、江戸時代に入ると庶民の間にも「虫聞」という娯楽が広まりました。言ってみれば、日本国中が虫の音の「音楽性」に気づいたのです。現代人にとって「虫聞」という楽しみは、想像しにくいですが、当時は祭りや芝居、はたまた花見や花火などと同等の楽しみの一つでした。

ペットは歌う

 このように「虫聞」が行楽の一つとして人気を博した一方で、日々の家庭生活にも「虫聞」というエンターテインメントは入り込んでいました。その「楽しみ」は、決まった時季に、向こうからやって来ました。「虫売り」です。「鳴き虫」の商いが世に登場したのは、一説によると寛政年間の頃ではないかといわれています。
 小泉八雲の調査によると、江戸で虫の商いを始めたのは越後出身の忠蔵という人物で、元は食べ物を売り歩いていた行商人だったそうです。この後、虫の養殖を手がける人間や、新たな飼育法を編み出す人間が現れ、江戸時代の鳴き虫の商いは大きく発展します。虫の行商人は五月の下旬頃から町にやって来ます。初夏に出回る虫は人工飼育された虫で、値つけも高かったそうですが、真夏に出回る虫は近郊の田舎から持ち込まれたもので、価格はぐんと安くなったようです。江戸時代の虫に対するニーズは、何かと天然物が重宝される現代の商いとは真逆の様相です。
 小林一茶は「宵よいや只八文のきりぎりす」(『七番日記』)という句を詠んでいます。現代の貨幣価値に照らし合わせると、当時の八文は二百円前後でしょうか。

虫と生きる

 鳴く虫は基本的に雄です。
 たとえばコオロギは「コロコロ」と鳴くのですが、昼と夜とで鳴き方を少し変えています。
 虫はその目的によって鳴き分けています。大きく分けて、「呼び鳴き」「口説き鳴き」「脅し鳴き」があります。「呼び鳴き」は高らかに歌うような鳴き方で、仲間から離れているときや、雌を呼ぶため、縄張り宣言をするために鳴くという。「口説き鳴き」は切々とした感じの節回しで、強弱が不安定であり、交尾を前提とした鳴き方です。「脅し鳴き」は張り上げた強い鳴き方で、雄同士の喧嘩でこの鳴き方が始まることが多いといいます。
 つまり虫が鳴く理由は、「脅し鳴き」はともかく、雌への求愛活動です。「脅し鳴き」も、もしかしたら雌を取り合っての「鳴き」かもしれません。
 日本の自然の中では、あらゆる場所で恋の歌が歌われているのです。ちょっとした管弦楽団がそこに加わることもあるし、パーカッションが鳴り響くこともある。ときに聖歌隊が歌う厳かな夜もあれば、お祭りのお囃子のように賑やかな夜もある。
 小泉八雲は自分が飼っていたコオロギの鳴き声を「恋の歌」と綴り、そして「われわれ西洋人は、ほんの一匹の蟋蟀の鳴き声を聞いただけで、心の中にありったけの優しく繊細な空想をあふれさせることができる日本の人々に、何かを学ばねばならないのだ」とも表しています。
 先人たちは虫と暮らし、虫との共同生活を楽しんでいたと言っていいでしょう。いったいいつの頃から日本人は虫と袂を分かったのでしょうか。現在カブトムシやクワガタが大好きな子どもたち、一部の昆虫マニアの人たちを除けば、日本人の暮らしの中ではすっかり影を潜めてしまったようです。しかし、虫たちがこの日本から姿を消したわけではありません。虫たちは、千年前も、昨年も、昨晩も、同じように音楽を奏でているのです。
 ちょっと耳を傾けてみてください。音楽に彩られた風景が見えてきませんか。

vol.49 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2023年8月号掲載

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