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Vol.23 いまこそ新しい思考や行動を
環境と人間
病める世界――新しい生命の誕生をつげる声ももはやきかれない。でも、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだった。
本当にこのとおりの町があるわけではない。だが、多かれ少なかれこれに似たことは、合衆国でも、ほかの国でも起こっている。ただ、私がいま書いたような禍いすべてのそろった町が、現実にはないだけのことだ。裏がえせば、このような不幸を少しも知らない町や村は、現実にはほとんどないといえる。おそろしい妖怪が、頭上を通りすぎていったのに、気づいた人は、ほとんどだれもいない。そんなのは空想の物語さ、とみんな言うかもしれない。だが、これらの禍いがいつ現実となって、私たちにおそいかかるか――思い知らされる日がくるだろう。
アメリカの海洋生物学者で、環境問題について警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(新潮社)の冒頭、寓話のようなスタイルで、世界に起こっていることを誰にもわかりやすく語った部分の最後です。
レイチェル・カーソンは、人間の活動は環境に害を及ぼすようになってしまった、生命と環境のバランスが崩れてしまったと警告しています。「おそろしい妖怪が、頭上を通りすぎていったのに、気づいた人は、ほとんどだれもいない」という一文に思いが込められています。人間と自然との戦い、人間と人間との戦い、それらが地球に及ぼす影響について詳細に書かれていて、私たちはこの本に書かれたような時代を経ていまに至っています。また、いまだに解決していないこともあります。
環境問題には、公害も含まれていて、日本でも、たくさんの公害問題が起こっています。たとえば、水俣病。水俣という土地は、自然とともに生きてきた漁師が多い土地です。水俣の人たちは、自然の恵みととても密接でした。しかし、自然に敬意を払わず、経済や発展だけに目を向けてしまった結果、化学工場からの工場排水として水銀が川に流されてしまい、魚介類を汚染。それを食べた人たちに蓄積され中毒性の神経疾患が現れました。この問題について綴られたのが、『苦海浄土 わが水俣病』(講談社)。著者の石牟礼道子さんは水俣で育っています。
私たち人間は、日々いろいろなことに追い立てられたり、未来のためだけに目の前の時間を費やしたりして忙しく過ごしています。そうすると、本当に大切なことを見落としてしまうことが多い。環境問題は、私たちが目の前のことや自分のことだけにフォーカスしている小さな視点を、大きく広げてくれるテーマです。そしてそれは、毎日の生活と切り離された遠いところにあるものではなく、複雑にからみ合っています。目の前にいる虫や生き物、スポーツができる環境、家族が元気に生きていくこと、この世界はすべてつながっているのです。
人の心が世界を変える
私は、自然のしくみの中で起こっていることも、人の心の中で起こっていることもどちらが正しいとかどちらが不確かだとか思いません。人の心の動きは世界を変えることができるし、世界が変わると人の心は動くと思っています。
ところで、中村哲という医師を知っていますか。アフガニスタンで難民のための医療を30年以上行った人です。彼は、医療にとどまらず、その土地の衛生面や生活面を支援するために、千六百本の井戸を掘り、用水路まで作ります。しかし、残念ながら、2019年に何者かに銃殺されてしまいました。彼の著書に『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(NHK出版)があります。彼はもともと国際医療協力に興味があったわけではなく、子どものころに昆虫が大好きで、アフガニスタンにあるパミール高原にパルナシウスという蝶がいることや、山が好きで山岳会の遠征に行ったことが縁をつないだと書いています。自身の好きなことや興味が世界に目を向けるきっかけになっています。
彼はこの本のタイトルにもなっている「天、共に在り」という言葉について、本の最後に書いています。
本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。
これが、30年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。
知り、学び、行動を
私たちの生きている世界ではバランスが重要なのです。虫の目、鳥の目、魚の目で見ることが大事だとよく言われるように、小さな視点と大きな視点。一部と全体。そして、時間の流れも含めて捉えることが大事なのです。そして、その上で正しい判断を下すには、学びが必要になる。レイチェル・カーソンも『沈黙の春』で、こう書いています。
私たち自身のことだという意識に目覚めて、みんなが主導権をにぎらなければならない。いまのままでいいのか、このまま先へ進んでいっていいのか。だが、正確な判断を下すには、事実を十分知らなければならない。
私たちは、知らなかったことを知り、学ぶことで、考えることができるようになります。そして、判断し、表現し、行動に移すことができるようになります。
いま、現代に生きる人間の多くが経験したことのない事態に直面しています。こんな時代にこそ、これまでならしなかったような思考や行動にも貪欲に挑戦し、自分の大切なものにしていく積極的な姿勢が求められているのです。
vol.23 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2021年6月号掲載