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Vol.25 今だからこそ読書

タイトル

疫病文学のススメ

この夏、今だからこそ読んでほしい! のが、パンデミックを題材にした「疫病文学」です。コロナ禍の今、注目を集めています。

表紙がポップな『マスク』は、文藝春秋社を創立し、芥川賞、直木賞を立ち上げた文学者であり、実業家でもある菊池寛が書いた15ページほどの短編です。

『マスク』は、100年前にスペイン風邪が蔓延した日本を舞台に、身体が弱い自らの実体験をもとに書いたものです。非常に短い作品なので、読書が苦手な方にもおすすめです。周りがマスクをつけなくなっても着用し続けた思いや、その後、自分自身もマスクをしなくなってしまったときの心境を綴っています。

「自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成な るべく外出させないようにした。そして朝夕には過酸化水素水で、含漱(うがい) をした。止むを得ない用事で、外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。そして、出る時と帰った時に、叮てい嚀ねいに含漱(うがい)をした」
※菊池寛「マスク」本文より


菊池寛自身が体が弱く、心臓がよくないと言われていて、病弱な自分が流行感冒(スペイン風邪)にかかったら大変なことになる。なので恐怖に怯えながら、徹底的に自身のケアをするという作品です。マスクをめぐる心の葛藤についての描写が、実に巧みです。マスクをみんなしている時は気にならないけど、みんながせずに自分だけがしているという状況になると、周りから自分が臆病者だ、と思われるかもしれないと。この作品は、「臆病さ」がテーマで、マスクをしている時、周りからどう見られるんだろうという意識のあり方が丁寧に描かれていて、とても面白いと思います。中でも印象的なのが、“文明人の勇気”という言葉です。

「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、もうマスクを掛けて居ないときに、マスクを掛けて居るのは変なものだよ。が、それは臆病でなくして、文明人としての勇気だと思うよ」
※菊池寛「マスク」本文より


自分がマスクをすることを、ちゃんと理論的に正当化して言っているんです。菊池寛の小説は、読者みんなに理解してもらいたいという気持ちで書かれていて、かなりわかりやすい言葉づかいで、今でも読みやすいものが多いですね。古い作家には漢文調など、古典的な文体のものもありますが、そういった作品に比べれば、今でもなんの抵抗もなくすらすら読めるかと思います。

困難な時の気付きを

同じくスペイン風邪を舞台にした短編をもう一つ。志賀直哉の『流行感冒』という短編です。志賀直哉は、私小説といわれる分野を得意としています。自分の実体験に近いところを書いていく作家で、文章が非常に的確で無駄がない。そして、心理を深くえぐっていく作品が多いので、小説の神様と呼ばれていて、日本作家の一つの模範とされてきた人です。テーマは……“不機嫌”が多いんですね(笑)。昔、不機嫌というものの正体はなんだろうと研究していて、志賀直哉に行き当たりました。自分の中の不機嫌というものを見つめ直すときに読むと、非常に面白い作家です。

コロナ禍における文学の役割とは

読書には“タイミング”がある。大きく分ければ、人生におけるタイミングと、社会の時代状況におけるタイミングの二つです。「人生におけるタイミング」については、青春文学って青春時代に読んだほうが響きますよね。

「社会の時代状況におけるタイミング」は、やはりコロナ禍って極めて特殊で、めったに経験できない状況、言ってしまえば、今しかできない読書体験がコロナ禍にはあると思うんです。この機会に疫病文学を読んでみると、イマジネーションがふだん働かない人でも、状況がリアルなので、自然と入っていける、まさに自分が襲われている状況で「疫病文学」を読むと、身をもってリアリティのある読書体験ができる。これは個人ではなかなか選択できない、とても貴重なタイミングです。リアルな読書体験というのは、“読む側がタイミングよく本をセレクトすること”から始まるんじゃないかと思います。

文学は、不安な人間の心を描く点において非常に優れていて、それを知ることで癒やされる体験でもあると思うんですね。“ああ、ここに自分と同じ気持ちの人がいたんだ”と。無人島に一人きりだと思っていたのが、裏側にもう一人いることを知ったような感覚だと思うんです。こんな苦しさを感じるのは自分だけだと思っているときに、裏側に行ったら、なんと先に来ていた人がいて、その人は苦労を先に体験している。そんなときに救われるような感覚を味わえると思います。

退屈や不自由さを糧にして

今年の夏もまだまだ不自由さは残るでしょう。そんな子どもたちへも同じことを言ってあげてほしいと思います。今のようなコロナ禍で疫病文学との出会い、これを機に読書を始めることがあれば、文学への入り口としてもとても良いきっかけになると思います。私自身は、読書は“心の森をつくる”と思っていますので、子どもたちにはとりわけ豊かな心の森をつくってもらいたい。1冊読むごとにいろんな樹木が増えていく。そんな豊かさを実感してもらいたいですね。友達と外で遊ぶこともままならないこのコロナ禍、つまらないと思わないで、文学という膨大な数の仲間がいると思ってもらいたいです。1冊読むごとに、心の味方を増やしていく。そうすると心もだんだんと強くなる。小学生ならまずは薄い本でいいと思うので、ぜひ毎日読んでほしいですね。

vol.25 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2021年8月号掲載

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