子供の考える力・書く力はこうすれば伸びる!

HOME > 齋藤孝先生インタビュー > Vol.26 多くの災害を乗り越えてきた私たちの祖先

Vol.26 多くの災害を乗り越えてきた私たちの祖先

タイトル

江戸の火事

江戸は「火災都市」と称されるほど、頻繁に火事にみまわれる都市でした。約260年続いた江戸時代において、江戸の町が大火に襲われたのは49回もあり、大小合わせると実に1798件もの火災があったという調査結果もあります。これは当時の大阪や京都などの都市火災の発生率と比べても、異常に高いものです。

江戸の人口は、江戸後期には120万人に達し、その半数が町人。『江戸の火事』(黒木喬著、同成社)によると、江戸の土地利用は約6割強が武家地、2割弱が寺神社地、残りのわずか2割弱の地に、人口の半分を占める町人が住んでいました。江戸という町は、住居の過密という都市構造と、主な建築様式だった木造家屋とで、いったん火の手が上がれば、辺り一面を焼き尽くす大火となりやすい環境が整っていたのです。また、江戸に吹く春の南西風、冬の北西風などの気象条件も大火を招く要因に数えられています。

火事と江戸っ子気質

このように日常茶飯事だった火事は、江戸の景気という側面から見ると、思わぬ経済効果があったという説もあります。『江戸の経済システム』(鈴木浩三著、日本経済新聞社)によれば、大火が起きると幕府は現代でいうところの区画整理事業を容易に行うことができ、大名の屋敷が燃えれば、大名は自費で屋敷を建て直すことになり、大きな雇用を生んだというのです。当然、商家や長屋が焼けても同じで、「日本橋あたりの大店の旦那方には、火事になったら綺麗に燃やせと喧しくいっているが、これには中途半端に焼けたのでは町が潤わないという理由があったから」(同前)といわれています。裏を返せば、人足から職人まで多くの働き手の懐を潤わすには、それなりの火災が必要だったのです。

普通に考えると大規模な火災が頻発すれば、都市の経済は衰退しそうなものですが、「焼け太りではないが火事の度に江戸は発展し百万都市にまでなった」(同前)のです。

ただし、大火の後では決まって深刻な物価高が起きていましたので、火事が起きればすべてよしというわけにはいきません。何より、火事によって尊い命が失われているのです。

様々な条件が重なり、江戸の町は火の手が上がると家屋が消えてなくなるのも早かったのですが、焼け跡からの復興もまた迅速でした。江戸で暮らす人々は火事に慣れていて、各人が火事に対する備えを持っていました。たとえばある程度の規模の商家では、川向こうの深川に蔵屋敷を構えていたり、日頃から木場に材木を備蓄しておいたりしました。焼け出されても翌日には普請が始まり、一週間もすれば営業を再開させることも珍しくありません。庶民も常に火事に対する意識が高く、「たいていの家では十一月中旬ごろから毎晩枕元に刺子袢ばん纏てん、刺子頭ず巾きん、わらじ、提灯(ちょうちん)などを置いて寝るなど、用心は怠らなかった」(同前)といいます。余裕のある家では土蔵や穴蔵などを造って、大切なものは火事でも燃えないように対策を施していました。

江戸っ子はくり返される火事を前にして、呆然としてやり過ごすことはなかったのです。「江戸っ子は、したたかでなければ生きていけない。江戸で外食産業が発達したのは、火事跡に食べ物を供給する屋台が立ったからである」(『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』田中優子著、小学館)ともいいます。江戸っ子は、突発的な不幸を上手にやりくりすることに長けていたのです。

日本でうまく暮らす術

人生、長く生きていると、いいときもあれば、悪いときもある。悪いときこそどのようにしてその悪い状況を切り抜けるかが大切なのです。

そして、その切り抜ける術の一つが、江戸時代は日本人の識字でした。周知のように諸外国と比べて高水準にありました。当時、庶民は寺子屋で読み書きを習い、そこでは年端もいかない子どもたちが、たとえば『金言童子教』を草紙と呼ばれる練習帳に、紙が真っ黒になるまで書き写していました。『金言童子教』は江戸中期の学者勝田祐義が編纂した和漢の金言名句を集めた語録集で、そこに記されているものは大人が一生をかけてようやく意味を理解できるような、奥深いものです。そうした書物に幼い頃から接するという習慣が日本にはあったのです。

これからも私たちは、それぞれの課題を抱えながら、変わり続ける社会や世界に向き合って生きていかなくてはなりません。偉大な先人もみんな戦ってきました。いろんなことを知り、教養を身につけることによって、落ち着いて人間らしい人生を歩いていけます。知識は、私たちのこれからの強力な援軍となってくれるのです。

磯田道史氏という歴史学者は、災害の歴史を何百年単位で追いかけています。最近起こっている大きな地震や災害も、私たちが生きている70 年、80年という単位の経験では「想定外」ということになりますが、磯田氏のように、100年、200年単位で見ると、それほど想定外のことではないそうです。

そうとわかれば、過去の災害からも学べるものが見つかるはずです。それが知性というものだと思うのです。

vol.26 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2021年9月号掲載

一覧へ戻る
春の入会キャンペーン
入会予約キャンペーン
無料体験キット