HOME > 齋藤孝先生インタビュー > Vol.28 2021年のいま、明治の人間の気概にふれてみる
Vol.28 2021年のいま、明治の人間の気概にふれてみる
筋金入りの気骨
「明治の人間は、やっぱり違うなあ」。子どものころ、そんな言い方がしばしば私のまわりに飛び交っていたような記憶があります。私の場合でいうと、父が大正末、母が昭和初期の生まれ、祖父母たちが明治生まれ、といったことになるのですが、その祖父母の世代がよくそのような形容で評されていたのです。彼らのいったいどこが違っていたのかといえば、たとえば、背筋が伸びている、気骨がある、前向き、覚悟ができている、一徹でブレない。――そのようなことだったかと思います。
明治の後には大正時代があります。しかし、「大正生まれは違う」と表現されているのはあまり聞いたことがありませんから、やはり、明治人の気骨は筋金入りなのでしょう。それはなぜかといえば、封建的な幕藩体制から近代国家への一大転換期を生きたというひと言に尽きると思います。明治期ほど精神のあり方の変化を迫られた時期はなかったと思います。そこを生きた人たちだから、おそらく、性根の据わり方が半端でないのです。
明治の人間の代表者
さて、そこで、私の好きな偉人の一人、福沢諭吉です。彼こそはその「明治の人間」の代表というべき人物です。まっすぐ前を向いてどんどん進んでいく明るさ、勇気、胆力。新しいものに順応し、ものにしていく意欲が、まさに明治時代のカラーです。慶應義塾という私立学校を作り、新聞社などの事業を興し、多数の著作をものした一級の評論家・ジャーナリストでもあります。
私はよく思うのですが、「日本人らしさ」というものについて語るとき、そこには大ざっぱに言って二種類のものがある気がするのです。一つは、『古今和歌集』や『源氏物語』に代表されるような「もののあはれ」の心を持った日本人。古代から脈々と受け継がれてきた日本人のオリジナルの精神です。しみじみとした情感を好む、言ってみれば「湿度の高い心」です。
もう一つは、勤勉で器用で、「働きバチ」のような日本人。こちらは、主に明治以降に発揮された精神といえると思います。言ってみれば、前者は情緒的で感性優位の精神、後者は論理的で合理的な精神です。このうち、福沢は後者も後者。合理的精神の極北のようなところがあります。なにしろあっけらかんとした性格で、ネチネチしたところがまるでないのです。
子どものころ、親戚の庭のお稲荷さんの社にもぐりこんでご神体をあばいてみたら石のようなものが出てきたので、「なんだ、こんなものを拝んでいたのか」と、別の石とすり換えてみた。そうして罰が当たるということが本当にあるのか試してみた、というエピソードがあるのですが、生涯それを地でいった感じです。
自身、みずからの性格を「誠にカラリとしたものでした」と評していて、日本人としては珍しいくらい湿度が低いのです。しかし、そのくらい日本的でない人がこの国最大の変わり目を担ったから、日本の近代化は実現したのかもしれません。
カラリと晴れた生き方のすすめ
そこでおすすめするのが、私が訳を手掛けたこともある福沢諭吉の『学問のすすめ』ですが、私はこの本を、いまの日本にとってはまことにふさわしい一冊だと思っているのです。どの時代にも、そのときどきの問題があり、そのときどきに求められる思想というものがありますが、いま、それは福沢ではないかと思うのです。
なぜなら、昨今の日本には、どうも「覇気」というものが感じられないからです。経済は停滞し、多くの人びとが心の問題に悩まされ、それでなくてもうつうつとしていたところに新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが起こり、ほうっておけばついつい日本全体が暗い雰囲気になってしまいます。
そんなときだからこそ、いま以上の内憂外患の危機に際して、未来への夢にもあふれていた明治日本を見直したいのです。その中でもとりわけ前向きで明るかった福沢諭吉からヒントをもらいたいと思うのです。
『学問のすすめ』が世に出たのは明治の初期で、発売されるや大ベストセラーとなりました。近代国家としての日本は、『学問のすすめ』に多くのことを教わりながら、この本と二人三脚するように歩みを始めました。ですから、いまのわれわれは、この本を読んでいてもいなくても、みなその影響下にあると言って過言ではないのです。この世に「名著」と呼ばれるものは数々あれど、私はこの本なくしては近代日本の精神的風土は語れないというくらいの名著だと思っています。
とかく暗くなりがちなこの世の中で、われわれはどのような心構えを持つべきなのか、どこを目指せばよいのか、福沢諭吉から教わりたいと思います。カラリと明るく前向きなこの本を読み直して、私たちもぜひ、カラリと明るく前向きになりたいと思います。
ぜひ、福沢の書いた『学問のすすめ』はもちろん、明治という時代を生きてきた人たちを知り、息吹にふれてみてほしいと思います。生きやすくなること間違いなしです。
vol.28 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2021年11月号掲載