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Vol.30 日本語力アップで幸福力アップ
使う言語によってヒトの性格が変わる?
私たち人間は、言語がたどってきた道のりや、その過程で生じたさまざまな変化をすべて背負った上で、日々ものを考えたり、感じたりしています。言語がなければ、自分の考えを他者に伝えたり、先人たちの教えを受け継いだりすることも叶いません。
数百年前、数千年前の人が残した書物を読み解くには、当時の人々が用いていた文法を知り、現代の言葉へと置き換えて理解する必要がありますし、異国の書物を読み解くには、その国の言語や文化を少なからず学ぶ必要があります。人類はそのようにして、古今東西の知恵を引き継ぎ、文明として発展させてきました。
言語は、それを用いる個人のアイデンティティに大きな影響を及ぼします。
あるアメリカ人は、日本でしばらく生活し、日本語に慣れ親しんだ頃にアメリカへ帰国したところ、「あなたは、イエス、ノーがはっきり言えない人になってしまったね」と友人たちに言われたそうです。日本文化に身を置き、日本語に親しむうちに、振る舞い方や考え方まで日本人的になってしまったというのです。もちろん個人差はあるものですが、言語の与える影響というものは深く、人のアイデンティティの根幹にまで及ぶものなのです。
若者の「語彙離れ」は深刻
もちろん、幼児の頃から難しい語彙を身につける必要はありません。しかし、人には語彙を身につけるべき時期というものがあります。
かつては、それが大学時代でした。とりわけ優良なテキストは新聞と新書。一人暮らしでも新聞の定期購読は当たり前だったし、岩波新書や中公新書、講談社現代新書などで多くの学問のエッセンスを学びました。これらを通じて、大人としての書き言葉を身につけていったのです。
ところが今は、こういうプロセスを経ない学生が多い。新聞どころか、本も大して読まずに卒業してしまうことがザラにあります。
実はこれこそが、これからの日本の最大の懸念材料ではないでしょうか。一般に、「活字文化の衰退」がよく取り沙汰されます。ですがこれは、新聞社や出版社の経営問題として矮小化されるべきではありません。「新聞なんか読まなくても、テレビやインターネットのニュースで見ればいいじゃないか」と考える人もいるかもしれませんが、ニュースを理解するには、そこで使われている語彙を知っていることが前提になります。
語彙がわからなければ理解もできない。それも、馴染みのない言語で話しているのなら最初から諦めもつきますが、慣れ親しんだはずの日本語なのに意味がわからないから、余計にイライラする。その結果、ニュース番組自体も見なくなるのがオチでしょう。世事からも語彙からも、ますます遠ざかってしまうわけです。
一方、卒業する彼らを受け入れる企業側は、当然ながら幼い学生を求めてはいません。以前なら自社でじっくり育てようと鷹揚に構える企業もありましたが、昨今は軒並みそんな余裕を失っているように見えます。彼らが求める人材は、できるだけ即戦力で、教育の手間がかからない人です。
この両者の凄まじいギャップを埋めるべく奮闘しているのが、現在の大学の姿です。できることなら、各自がそれぞれ興味の赴くままに本を読み、自然に語彙力を身につけてもらいたい。
ですが今では、放っておくと何もせずに卒業してしまう。それでは就職もままなりません。だから大学としては、彼らを手取り足取り指導するような、細かな教育プログラムをつくることが至上命題にもなっています。
日本語力とは幸福力
しかし、昨今は日本語に不自由している大人が少なくありません。それは個人の問題を超え、日本人全体の日本語力の低下現象のようにも思えます。
日本語が衰退し、ついには消滅する世界を想像してみてください。それは、日本人が地球上から消滅することを意味します。仮に見た目が日本人らしき人が残っていたとしても、他の言語しか話せないのであれば、その人はもはや日本人ではありません。いわば、No Japanese, no Japanese(日本語なくして日本人なし)というのが私の持論です。
もっとも、そんな世界にならないようにする方法も、実は簡単です。誰もが母国語としての日本語を使う楽しさに気づけばいいのです。日本語は私たちにとって武器であると同時に、幸福感を得るための最強のツールでもあるからです。
普段、私たちが幸福だと感じるのはどういうときでしょう。欲しかったものを手に入れたり、おいしいものを食べたりする瞬間も幸福には違いありません。ですがそれよりも、人と語らい、気持ちが通じ合った瞬間こそ、最も幸福感に浸れるのではないでしょうか。家族はもちろん、友人でも仕事相手でも、上手な人間関係を築くことができる人は、その分だけ幸福感も強いはずです。
その最大のカギを握るのが、日本語力です。およそ人間関係は、言葉でよくなり、言葉で壊れる。日本語力の足りない人は、本人も気づかないうちに誤解されたり、いつの間にか嫌われていたりします。一方、日本語力が十分な人は、的確に相手の感情を掴んだり、意思を伝えたりできます。だから人間関係が自然によくなるのです。
心を暗くするのは、概してトラブルそのものより、周囲に理解されない孤独感や行き詰まり感です。たとえ問題の根は深くても、そこに分かち合える仲間がいればなんとかなるのです。
そのための「日本語力」と考えれば、俄然身につけようという気になるでしょう。
vol.30 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2022年1月号掲載