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Vol.31 『古事記』で日本のこころを味わおう

タイトル

日本語のふるさと『古事記』

ひさしく教科書から姿を消していた『古事記』の神話が近年になって復活してきています。「因幡の白兎」や「八俣の大蛇」などがふたたび教科書に採用されるようになっています。その背景には何があるのでしょうか。

戦前の教育をうけた人たちが学校においても家庭においても教育をしていた時代は、日本人としてのアイデンティティが自然に継承されていましたが、敗戦後、神話に対するアレルギー、とくに国家神道との結びつきを懸念する人々がいたために、それが難しくなった時期がありました。しかし近年、『古事記』の口語訳がベストセラーになったり、神社をお参りしたいという若い人が増えたりしているのは、どこかで自分たち日本人の精神の源にふれたいという気持ちがあるからだと思います。「日本人とは何か」、それを考えるうえで、日本神話は大きなよりどころとなります。神話を上手に活用することで、現在を生きる私たちのエネルギーにすることができるのです。

語られてきた物語、『古事記』

古くから日本人は暗誦や音読に慣れ親しんできましたが、その元祖と言えるのが、口述をもとに編まれた『古事記』です。「正式な中国語としても通用する要素を持つ『日本書紀』と異なり、『古事記』はその多くが日本古来の大和ことばに漢字を当てはめて記されています。漢字そのものは中国からの輸入品で文字自体にあまり意味はなく、発音を表すために使われています。

しかし、意味がないと思われがちな『古事記』の漢字表記からも、ひらがなやカタカナといった日本独自の文字ができる以前の言葉の活き活きとした律動を感じることができます。例えば、ヤマタノオロチの「ち」。「血」や「乳」にも通じる音で、「ち」という響きそのものが霊的な力を持つ音と考えられます。この「チ」が「オ」と結びついた「オロチ」は、「尾に霊力を持つもの」というふうに想像することができます。このように、力を持つ音どうしがつなぎ合わさり、まとまりとして単語ができていったのではないでしょうか。『古事記』を音読することで、一音一音から日本人が本来持つ力を感じることができます。『古事記』の成立以前からの感覚が一音一音に埋めこまれ、声に出すことで当時の人々の五感までがよみがえってくる感じがします。

そもそも『古事記』の成立は「語り」とともにありました。稗田阿礼が誦習して身体に埋めこみ語ってきたものが、太安万侶によって漢字で表記されたわけですから、語る人物の身体性がその背景にあります。

ですから、「語られた物語」であることを意識して、頭で理解するより先に、身体で感じながら読んでみる。『古事記』は日本語本来の力が生きているテキストですので、「声に出して読む」ことで、言葉の力を感じることができますし、古代人の感覚、世界観をより深く楽しむことができるでしょう。『古事記」を読むことでどこかやすらぎを覚えたり心が躍ったりするのは、古代人の心が現代の日本人の中に今も生きているからです。『古事記』の物語から日本語のふるさとを訪ねて、古代人のこころに近づいていけることは、とても魅力的なことです。

声に出して読んでみよう

さて、『古事記』をあえて声に出して読む意味はどこにあるかといえば、日本語の大本の力にふれて、その力を自分の身体で感じてみようということです。『古事記』には、言葉の持つ力を活かした場面があちこちに出てきます。日本には古くから、「口から出た言葉には感情を超えた神聖なものが宿る」という言霊信仰があります。言葉には実際、力があります。例えば自分の名前が正義とつけられ、マサヨシと呼ばれていれば、おのずと正義を意識するようになります。書かれた文字も非常に力を持つ。音も力を持つ。その言葉の持つ力が、心を形づくり、影響を与える。日本人の心の在り方、あるいは日本人がどういう存在なのかを知ろうとするときに、日本語というものをさかのぼって原形にふれると、それがわかってくる。それは理屈で説明しきれるものではありませんが、とにかく声に出して読んでみると、その力を感じるのです。音読してみると、神の名前一つをとっても、その一音一音に意味と力が込められていることがわかってきます。アマテラスやニニギなどじつに不思議な名前ですが、その言葉の一つひとつの一音一音に意味や力があるところが、日本の言葉の面白さです。

昔は女の子の名前に「かよ」などの強めの名前が好まれていたのが、今は「みゆ」など、ゆるい感じの名前が増えてきています。日本人は明らかに「かきくけこ」の行と「まみむめも」の行によって違う印象を与えられています。ですから、私たちはその一音一音がどういう印象を与えるかということを意識していなくとも、じつは知っているのです。

古代の日本人も言葉の一音一音を大切にして生きていたことが、『古事記』を読むことで見えてきます。ヤマトタケルと名乗るようになったとき、その名前にはヤマトという言葉のニュアンスとタケルという力強さが含まれているわけで、名前の獲得が非常に重要なことがわかってきます。人間と自然をつなぐもの、それが言葉であり、その自然から力をもらうものも言葉であり、そして人や自然の猛威を鎮めるのもまた言葉であるわけです。『古事記』に詰まっている日本語の不思議な力を身体で感じて、物語性を超えたもっと深いところで「古代日本人のこころ」を感じとっていただけたら、と思います。

vol.31 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2022年2月号掲載

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