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Vol.32 季節のことばが、私たちの心を養い、感性を潤わせてくれます

タイトル

豊かな感性を取りもどすために

私たちが当たり前のように楽しみ、参加している春夏秋冬ごとの風習やしきたりは、そのほとんどが江戸時代に今の形になったものといわれます。ところが厄介なことに、江戸時代には「旧暦」が使われていました。現在の新暦と、昔の旧暦とでは、一か月前後のずれがあります。そのタイムラグのうえに、人類の営みがもたらした自然環境の大きな変化なども加わって、今と昔の季節感はずいぶんと違うものになっています。

しかし、私たち今の日本人は、旧暦のもとで暮らしていた先人の血を脈々と受け継いでいます。四季がめぐるすばらしさとともに、その移ろいを、気象の動きや動植物の変化から、よりきめ細やかにとらえて表現した「二十四節気」と「七十二候」があります。

とくに七十二候には、日本人が日々の暮らしの中で見聞きし、感じ、語り継いできた叙情豊かな「日本の言葉」が散りばめられています。それは自然現象や動植物の成長に関わる言葉であったり、人の営為や風習・しきたりに関する言葉であったりします。

それぞれの言葉とその意味を心に留めおくことで、ともすれば失いかねない日本人の豊かな感性を取りもどせるのではないでしょうか。心の底から湧きたつ素直な情感が、とかく殺伐となりがちな暮らしに、みずみずしい潤いをもたらしてくれるはずです。

旧暦は今も必要不可欠

気象予報士が、「暦の上では、春ですが」などといちいち断りを入れて話すのは、それだけ旧暦と今の実態がかけ離れていることを物語っています。日本の暦は、明治5年12月3日を明治6年1月1日としたことで、それまで使っていた太陰太陽暦(旧暦)に代わって太陽暦(新暦)が採用されます。旧暦では、1月〜3月を春、4月〜6月を夏、7月〜9月を秋、10月〜12月を冬としており、現在の私たちの感覚とはだいぶずれがあります。たとえば、中国の人は旧暦の正月を「春節」と称してお祝いをしますが、2月の初旬にお正月だといわれても日本人にはピンとこないでしょう。同じように、3月3日を桃の節句といっても、このころの桃の花は、まだ固いつぼみの状態ですし、7月7日の七夕も、新暦では梅雨空が広がり、お星さま(天の川)を拝めないことが多いのです。

では、新暦に沿って暮らしている現在の私たちに、実態にそぐわない旧暦は必要ないのでしょうか。そんなことはありません。日めくりカレンダーを見れば、旧暦の日付や関連行事などが必ず記載されています。取り払ってしまえば見た目もすっきりするはずですが、そうしないのは、私たち日本人に必要不可欠のものと考えられているからでしょう。

二十四節気とは、七十二候とは

二十四節気は、古代中国(春秋戦国時代)で生まれた暦の概念で、1年間に太陽が運行する黄道を24等分し、それぞれの区分点に季節の言葉をあてはめています。つまり、二十四節気とは、季節の節目である夏至と冬至、春分と秋分の4つ(二至二分)を基点に、1年を24分割し、半月(約15日)ごとの季節の変化を二字の熟語で示したものです。

では、これをさらに3分割したらどうなるでしょうか。これが「七十二候」になるのです。七十二候は、およそ5日ごとの季節の変化を短文で表現したものです。一例を挙げると、二十四節気の「立春」と「雨水」の間には、「東風解凍:こちこおりをとく」、「黄鶯睍睆:うぐいすなく」、「魚上氷:うおこおりをいずる」という3つの短文が入ります。

こうすると、気象の動きや動植物の生態の様子などが具体的にわかり、季節の移ろいをより細やかに感じとることができるのです。

七十二候も古代中国で生まれ、二十四節気と同時期に日本に入ってきましたが、二十四節気と違うのは、日本の気候風土に合うように千年以上にわたり、何度も改訂されてきた点です。やはり大陸の中国と島国の日本では気候風土が違います。それをどう表現し、いかにして暦の使いやすさを向上させるか。歴代の暦学者はそのことに頭を悩ませ、改良に改良を重ねてきたのです。

人は季節とともに生きる

旧暦である太陰太陽暦が古代中国で誕生したのは、文明が農業を中心に栄えていたことに関わっています。植物の生長と農業を関連づけるには、月の満ち欠けを基準にした暦が、最も適していることを当時の人々は知っていたのです。その中国から伝わった暦は、私たち日本人の暮らしに彩りを添えてきました。

日本は四季がはっきりとした国です。その恵まれた自然環境の中で、日本人は生活の根本である農業と密接不離の季節の変化を正確にとらえる能力(感受性)を研ぎ澄まし、日々の営みに反映させてきました。

ところが、その折々に豊かな表情を見せてきた四季も、文明の発達によって、昔とは異なる様相を示すようになってきています。二酸化炭素の排出が気象や気温に変化を与え、技術革新によって季節と関係なく農作物が手に入るようになり、新暦と旧暦における季節感のずれどころか、四季の感覚自体があやしくなりつつもあります。

それでも私たちの体の中では、先人が育んできた季節の微妙な移ろいへの細やかな眼差しや情感、「季節とともに生きる」という人間本来の在り方がしみ込んでいます。日本人はそれを見失わずに、大切に守り伝えてきたといえます。

春夏秋冬を言葉で味わう

四季を楽しみ、四季を慈しみ、四季と闘ってきた先人の感性。日本の気候風土の中で育まれた感性は、そう簡単に薄れるものではありません。時代や環境が変わっても、変わらないものがあるのです。そして、昔の記憶を甦らせる日本語こそが、私たちの心をなぐさめ、心を養い、新たな想像力や感性を生みだす力になると、私は信じています。

七十二候に散りばめられた「季節をていねいに見つめる日本語」が、みなさんの心の奥にまで響き、子どもたちはもとより、孫たちの代にも語り継いでほしいと思います。

七十二候に付随している日本語は、必ずしもその期間にぴったりあてはまるものとは限りません。杓子定規に考えず、彩りをほんの少しずつ変えていく春夏秋冬のみずみずしい季節感を味わっていただければ幸いです。

vol.32 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2022年3月号掲載

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