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Vol.38 スポーツが脳を鍛えます

タイトル

スポーツにある上達モデル

 「スポーツばかりやっていると脳みそが筋肉になって使い物にならなくなる」。こんな冗談とも本気ともつかない言葉がときおり聞かれます。たしかに運動部に入ってまったく勉強をしなければ成績は悪くなります。中学以降の勉強はとくに蓄積が必要なので、頭の素材の良さだけでは勝負できません。世に言われる「頭の良さ」は、主に記号操作能力や言語情報処理能力に関わっています。これを身につけていないと、せっかくスポーツで高度な感覚や認識を得ていても、それを的確に言語化して伝えることができません。しかし言語化ができないからといって、認識のレベルまでが低いと決めつけるのは誤っていると思っています。
 ここで問題にしたい頭の良さとは、学校の教科のデキではなく、どのような場におかれても自分が上達する筋道が見える力のこと。この力は、未知の世界に放り出されても、仕事のやり方をまねて盗み、自分の得意技を磨いて全体の中でのポジションをゲットしていく力です。こうした力は普遍的なものなので、どのようなフィールドでも上達能力を身につけることは可能なのです。
 しかし、こうした上達能力自体の向上に上達のプロセスがあるので、はじめからあまりに複雑な状況(フィールド)での経験は整理しにくい。はじめのうちは、諸条件が限定された状況のほうが、上達のプロセスを認識し定式化しやすい。その後の複雑な現実における自分の闘い方を見つけていくための、上達モデルの獲得が基礎段階としてまず必要なのです。

スポーツの深い世界

 スポーツは、「上達のミニチュアモデル」を獲得するのには最適です。スポーツには明確なルールがあり、現実よりもはるかに条件が限定されています。卓球を例にとれば、台の大きさやラケットの重さや形状、ワンバウンドしてから打ち返すといったルールなどはすべてゲームを面白くするための限定です。こうした諸限定によって、必要な技が確立されやすくなる。求められる技がはっきりすれば、その技を身につけるための練習法が考案されます。優れたパフォーマンスを生むためには、しっかりした技(技術)が必要であり、その技の習得のための練習を試合とは別に行うのが効率的です。こうした「技(技術)に対する意識」や練習法の自覚を実体験を通して身につけていくことは、そのスポーツの競技力以上に後の人生にとって重要な意味を持っています。
 スポーツをすると、本来頭は良くなる。その理由の一つは、優れたパフォーマンスを生み出すためには、高度の情報処理能力が必要とされ、鍛えられるからなのです。

スポーツのエネルギー

 私自身スポーツは好きですが、その上達にかけた時間とエネルギーは大きなものでした。
 最もエネルギーが過剰な高校時代には、学校が始まる前に練習し、休み時間に弁当を食べ、昼食時間に練習し、放課後日が暮れるまで全体練習をし、夜中に素振りをする。そのようにして費やされたエネルギーが溜まっていたらどのようになっていたか、と考えるだけで怖しくなるくらい、スポーツの上達はエネルギーを莫大に燃焼させ続けてくれました。実際、運動をばったりとやめたときには、測ったようにノイローゼ気味に……。上達することの面白さは、「自分の技」を身につけることができることにあります。はじめは自分とは縁のなかった技術が、練習によって、徐々に自分に馴染んできて、やがて自分自身と切り離すことができないものとなっていく。このプロセスは、自分という人間を充実させてくれます。
 莫大なエネルギーをかけて上達を目指した体験は、自分にとって「拠り所となる体験」となります。そこで得た技術そのものをその後の生活において応用することはできないかもしれない。テニスのバックハンドボレーの上達で得たコツを、日常の仕事に直接応用することは想像できない。しかし、上達の論理ならば応用が可能です。その論理を応用するコツがつかめたならば、エネルギーをかけた上達体験は、「拠り所となる上達体験」になります。他の活動をするときの勇気と自信の源になり、具体的な戦略や練習メニューを立てる際の指針となります。未知の領域に対して不必要な恐れを抱くことが少なくなります。そして、反復練習する努力を厭わなくなるのです。

スポーツ=勉強=仕事

 私にとってスポーツをすることと勉強することと仕事をすることは、基本的に同じ論理で捉えられるものでした。スポーツでの上達の経験をすべての他の活動のモデルにするというやり方でここまでやってきました。勉強の段取りを考えるのも仕事の段取りを考えるのも、スポーツをやっていたときの試合に向けての練習メニューをつくる作業と同一視してきました。たとえばテニスや空手におけるランニングや素振りや四股といったものは、学問研究では何にあたるのかと考えて当てはめる習慣が自然に身についていました。
 成功の体験からだけではなく失敗の体験からの学びも、領域を超えて活かすようにしました。スポーツにせよ勉強にせよ、的外れな練習をしてきてしまった経験から、目指すべき目標に対して、その練習がどのような意味を持つのかを考えるようになっていました。領域を超えて上達を捉えるという習慣は、プラスアルファを生み出し、新しいアイディアを生まれやすくしてくれます。
 私は、新しいように見えるアイディアの多くは、まったく別の領域のコンセプトや記述の転用・アレンジから生まれていると思っています。自分の関わっている領域内での思考だけではどうしても行き詰まりが出る。そんなときに、別のより進んだ領域の工夫を盗み、自分の領域の文脈に持ってくるのです。もちろん別領域のものなので、移植にはある程度のアレンジが必要となりますが、結果としてできたものには、自分なりのアレンジが加わりオリジナリティのあるものとなるのです。

vol.38 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2022年9月号掲載

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