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Vol.44 四季折々の行事を楽しみましょう

タイトル

日本人と四季

 日本は四季がはっきりとした国です。その恵まれた自然環境の中で、日本人は生活の根本である農業と密接不離の季節の変化を正確にとらえる能力(感受性)を研ぎ澄まし、日々の営みに反映させてきました。
 しかし、その折々に豊かな表情を見せてきた四季も、文明の発達によって、昔とは異なる様相を示すようになってきています。二酸化炭素の排出が気象や気温に変化を与え、技術革新によって季節と関係なく農作物が手に入るようになり、四季の感覚自体があやしくなりつつもあります。それでも私たちの体の中では、先人が四季を通じて育んできた知恵や感性が脈々と波打っています。季節の微妙な移ろいへの細やかな眼差しや情感や「季節とともに生きる」という人間本来の在り方。日本人はそれを見失わずに、大切に守り伝えてきたといえます。春夏秋冬ごとの風習やしきたりとして、当たり前のように楽しみ、参加しています。伝統的な生活や行事を通して、古来、日本人が大切にしてきた季節感、自然への祈りの気持ちや畏怖の念を知ることができるのです。

暦に散りばめられた感性

 日本の暦は、明治五年十二月三日を明治六年一月一日としたことで、それまで使っていた太陰太陽暦(旧暦)に代わって太陽暦(新暦)が採用されます。旧暦では、一月〜三月を春、四月〜六月を夏、七月〜九月を秋、十月〜十二月を冬としており、現在の私たちの感覚とはだいぶズレがあります。たとえば、中国では旧暦の正月を「春節」と称してお祝いをしますが、二月の初旬にお正月だといわれても日本人にはピンとこないでしょう。同じように、三月三日を桃の節句といっても、このころの桃の花は、まだ固いつぼみの状態ですし、七月七日の七夕も梅雨空が広がり、お星さま(天の川)を拝めないことが多いのです。
 では、新暦に沿って暮らしている現在の私たちに、実態にそぐわない旧暦は必要ないのでしょうか。そんなことはありません。日めくりカレンダーを見れば、旧暦の日付や関連行事などが必ず記載されています。取り払ってしまえば見た目もすっきりするはずですが、そうしないのは、私たち日本人に必要不可欠のものと考えられているからでしょう。
 静岡出身の私は、カレンダーに書かれた「八十八夜」という小さな文字を見ると、子どものころからお茶好きだったな、と思い出に浸りながら、新茶を求めずにはいられません。

暮らしに彩りを添える旧暦

 旧暦である太陰太陽暦が古代中国で誕生したのは、黄河文明が農業を中心に栄えていたことに関わっています。穀物や果実は、月が満ちていく上り月に植え、月が欠けていく下り月には根菜類を植える。そのように、植物の生長と農業を関連づけるには、月の満ち欠けを基準にした暦が、最も適していることを当時の人々は知っていたのです。その中国から伝わった太陰太陽暦は、二十四節気・七十二候の概念をともなって、私たち日本人の暮らしに彩りを添えてきました。
 七十二候も古代中国で生まれ、二十四節気と同時期に日本に入ってきましたが、二十四節気と違うのは、日本の気候風土に合うように千年以上にわたり、何度も改訂されてきた点です。同じアジアとはいえ、やはり大陸の中国と島国の日本では気候風土が違います。それをどう表現し、いかにして暦の使いやすさを向上させるか。歴代の暦学者はそのことに頭を悩ませ、ああでもないこうでもないと、改良に改良を重ねてきたのです。

日本独自の雑節と節句

 旧暦にはまた、季節の目安として設けられた特定の日や期間もあります。これを「雑節」といいます。雑節は、中国伝来の二十四節気をおぎなう形で設けられ、農作業をはじめとする日本独自の風土や暮らしの要素を多分に含んでいます。
 節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日。全部で九つから成り立っていますが、最大の特徴は、農作業などをするうえでの指標になってきた点です。たとえば、立春から数えて八十八日目にあたる「八十八夜」は稲の種蒔きや茶摘みを始める時期、太陽黄経が100度になる「半夏生」は田植えを終える時期、一年に四回ある「土用」は季節の変わり目にあたる健康に留意すべき時期。
 そのように雑節の日を目安に、さまざまな風習や禁忌などが生まれてきたのです。ほかにも旧暦には、みなさまもよくご存じの「五節句」があります。一月七日の人日の節句、三月三日の上巳の節句、五月五日の端午の節句、七月七日の七夕の節句、九月九日の重陽の節句。
 これら五節句は、季節の変わり目に無病息災などを祈願した祓いの儀式がもとになった祝祭日(節日)で、古代中国の陰陽五行説に由来しています。奈良時代に伝わったころは宮中行事として執り行われていましたが、江戸時代に徳川幕府によって公式の式日(現在の祝日)に定められ、形を変えて現代に受け継がれています。

日本人の心はどこに在るか

 「菜の花畠に入り日薄れ」「早乙女が裳裾濡らして」「摘まにゃ日本の茶にならぬ」……。
歌は世につれ、世は歌につれ。数々の歌が生まれては消えていくなかで、長く歌い継がれてきた童謡や唱歌。そこに出てくるなにげない日本語に耳を傾けるだけで、なぜか懐かしくなったり、胸が締めつけられるような切なさを覚えたりします。「それはなぜでしょうか。日本人みんなに共通した言葉だからです。いわば、私たち日本人の記憶に刷り込まれた心のふるさとなのです。だから、その時代に生きていなくても、実際に見聞きした経験がなくても、心にこだまして胸に強く迫ってきます。ロックやポップスが好きな若者たちに、懐かしい歌はどんな歌か、どんな歌を未来に残したいかと聞くと、必ずといっていいほど唱歌や童謡が挙がってきます。
 四季を楽しみ、四季を慈しみ、四季と闘ってきた先人の感性。それが染みた歌は、これからも私たち日本人の情緒に訴え、心の財産として普遍的に受け継がれていくでしょう。旧暦に沿った行事とともに暮らしてきた日本人の感性に触れたとき、遠い昔の心のふるさとに帰っていくことができます。
 感性は、そう簡単に薄れるものではありません。時代や環境が変わっても、変わらないものがあるのです。そして、昔の記憶を甦らせる四季折々の行事こそが、私たちの心をなぐさめ、心をやしない、新たな想像力や感性を生みだす力になることでしょう。

vol.44 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2023年3月号掲載

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