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Vol.47 「食」が人をつくります。

タイトル

身体に無理のない食生活を

 今、「食」というものが、危機に瀕していると感じています。学生の中にもすごく食費を切り詰めてしまっている人がいて、その切り詰めたお金は、スマホ代にいってしまっているのです。そのため簡単にいうと、声が小さい。これは食と関係していて、体つきがほっそりしています。かつては、足腰がしっかりしている人が、男としてはいいとなっていました。今は男性も腰が細いのがモテていますよね。
 生物というのは、環境の変化によって驚くほど変容します。人間が今このような形で存在していること自体、内臓も姿もすべて環境に合わせてきた結果です。
 たとえば日本人は、腸の長さがほかの国の人と違ってとても長い。だから胴長なのですが、それは長い歴史の中で穀物をたくさん食べてきたことが影響しています。ここ50年で日本人の食生活は急激に欧米化しましたが、その生活に腸がついていけません。従来持っている酵素もそうした食生活に合わないため、肉を消化しきれない人、冷たい牛乳を飲むとおなかを壊す人、アルコールに極端に弱い人もいます。生活は急変しても、遺伝子は急には変われないのです。何百世代と、米や野菜や漬物を食べ続けてきた生活が、日本人の身体をつくってきました。食べるものが変わったからといって、急に自分の代で腸の長さを変えることはできないし、腸の機能を変えることもできないのです。
 現代に生きる私たちは、食生活をはじめとするライフスタイルと、自然の集約である身体とのズレ幅が激しくなっています。

バランスのとれた食べ方で健康は決まる

 私は体力には自信があったのですが、40代半ばを過ぎたころ、体調をくずしてしまいました。そんなときに大学生のころには、ピンとこなかった『養生訓』に再び出会います。改めて読むと心にすっと入ってきたのです。『養生訓』とは、儒学者の貝原益軒が長寿の心得を記した江戸時代のベストセラーです。当時の寿命が50歳未満という時代、益軒が亡くなる一年前の83歳のときに書いたものです。
 その『養生訓』には、「甘いもの」「塩辛いもの」「苦いもの」「辛いもの」「酸っぱいもの」のどれか一つを食べすぎること、どれであっても、同じ味のものばかり食べすぎるのはよくないとあります。
 甘いものを食べすぎるとおなかが張り、塩辛いものを食べすぎると血がかわき、苦いものを食べすぎると消化器系が不調をきたし、辛いものを食べすぎると気がのぼっていらいらし、酸っぱいものを食べすぎると身体が縮まってしまいます。これらを少しずつ散らし、バランスよく食べることが必要だと。
 今は学校で食育指導があり、食生活のバランスを考える教育が行われています。この背景には、朝ごはんを食べずに学校に来る子が少なくないという現実があります。朝食抜きの子は、午前中の集中力が続きにくい。一概には言えませんが、朝食をちゃんと食べて来た子のほうが、集中力は続きます。また、食べていたとしても、菓子パンやスナック菓子をかじるだけの子も多くいます。ひとりで食べる「孤食」で、バランスが欠けてしまっているのです。
 一つのものでおなかをいっぱいにすることは、偏りや滞りの原因となります。それよりもさまざまなものをバランスよく食べたほうがいい。「ちょっとずつ種類をたくさん」食べるのがよい食べ方です。
 実際に、益軒のアドバイスを取り入れて生活するようになると、そのよさがよくわかってきました。

おいしく楽しく食べてこそ、栄養になる

 また、食事は単に栄養を摂取する時間ではなく、怒りや憂いを休み、考えることを休む時間です。楽しい考えごとなら、追い出す必要はありません。
 意外に思われるかもしれませんが、私は外での食事が少なくて、一年のうち三百日は家族と食事をしています。食事は、家族内情報交換をする時間。食べているときは雰囲気がやわらかくなり、話が川のように流れていきます。流れに乗るからこそ、面倒なことも話しやすくなります。
 グチを言い合うのもこの時間です。グチは、ひとりで内側に溜め込まず、常に家族間で小さな厄介ごとを吐き出して笑い合うくらいが、バランスとしてはちょうどいいように思うのです。さっきまでさんざん悩んでいたのに、食事が出てきたとたんにあっけらかんとして、「おいしい、おいしい」とニコニコします。しかし、すぐに切り替えができないときもありました。子どものテストの話などで怒ることなどがあれば、おいしいごはんもおいしくなくなります。要注意です。

命への感謝が人をつくる

 『養生訓』には食事をするときには「五思」───五つのことに思いを馳せなければならない、とも書かれています。一番目が「この食べものがどこから来たかを考えなさい」という言葉です。私たちは命をいただきながら生きています。昔はよく「お百姓さんに申し訳ないから、ひと粒も残さないように」と言われたものでした。「お百姓さん、ありがとう」という気持ちが、日本人の中に浸透していました。今は外国から輸入される食品も多いですが、「私が作りました」という表示つきで生産者がわかる販売方法も増えてきました。やはり生産者の顔が見えるやり取りは、安心感につながります。
 「五思」とは、このほかに「農民の苦労によって食物が作り出されたことを思う」「自分にはそれほどの才徳がないのに、おいしい食事ができる幸せを思う」「世の中には飢えている人がいるのに、その心配がない幸せを思う」「五穀がとれず、草木の実や根を食べていた大昔のことを思う」というもの。江戸時代の人の食事は朝夕二回でしたが、そのたびに感謝の気持ちを持って食べていたのでしょう。
 『養生訓』に書いてあるのは「ほどほどのものを食べられたら幸せ」ということです。幸せの基準が高くありません。そういう意味で、現代人は豊かすぎて幸せを感じにくくなっていますが、食生活には小さいころからの家庭の習慣が刷り込まれます。家の習慣、献立、味つけ、など、それぞれの家庭によって違うものです。ただ、その中で「五つを思う心」は、ときどき一つでも思い出して大切にしてほしいと思います。

vol.47 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2023年6月号掲載

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