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Vol.55 鎖国は「クールジャパン」の源です

タイトル

「クールジャパン」の源流は江戸にある

 かつて、日本の浮世絵が印象派に大きな影響を与えたように、いまはアニメやゲーム、オタク文化が世界中のクリエイターに影響を与えています。「(オタ活)オタク活動」は「推し活」と呼ばれるようになり、若い世代のトレンドを牽引するキーワードとなっています。
 でも実を言えば、日本人は、もともとそうしたものが外国で通用するとは、思っていませんでした。あくまでも自分たちの内輪の楽しみとして作っていたのです。むしろ出たら恥ずかしい、外の人には見られたくないという気分で作っていたのです。この内輪気分は、国境が地続きのヨーロッパにはないものです。しかし、だからこそ、外国にとっては非常にインパクトをもって、「クールジャパン」として受け取られたのではないでしょうか。このように、外国が「クールジャパン」といっているものの正体は、実は日本の鎖国体質から生まれた、一種異様な文化だったのです。
 もし日本が鎖国をしていなかったら、これほどの独自性は生まれなかったでしょう。外からの影響を受けると、どうしても独自性が失われてしまいます。ですから日本人は、ヘタに世界で通用するものを作ろうなどと考えずに、自分たちが楽しければいいじゃないか、という気持ちで物作りをしたほうが、オリジナル性の高い面白い物ができるのではないでしょうか。
 アキバも、ゲームもアニメも、コスプレも世界で通用しているものは、すべてそうして生まれたものです。日本人的な妄想によって固められたものが「クールジャパン」と賞されているのです。

二〇〇年間煮込まれた「国」

 鎖国は、二代将軍秀忠の時代から始まり、三代家光の時代に完成します。その後、幕末にペリーが黒船でやってくるまでの約二二〇年間、ほぼ江戸時代中続きます。
 私たちは、江戸時代をとても「日本的」な時代だと思っています。なぜなら、鎖国をしたことによって、「日本らしさ」が究極まで煮つめられてしまったからです。いまにして思えば、鎖国というのは、壮大なる実験室だったと言えると思います。一つの国民を島国に閉じこめて、二二〇年間コトコト煮込んだらどうなるか。
 何日間も煮込んだシチューというのがありますが、どんな材料もすべてとろけてドロドロ。その渾然一体となったものは、「他店にはまねのできない独特な味」を醸しだします。江戸時代の日本がまさにこれです。
 他国にはまねできないどころか、理解できない不思議な味になっています。「日本人らしさ」が閉じこめられることで発酵してしまった、日本文化の熟成期です。つまり江戸文化は、日本らしさの発酵食品なのです。もちろん、鎖国が日本にもたらしたものは、いいことばかりとは言えません。海外との交流を禁じたことによる科学の停滞など弊害もありました。でも、世界への文化的貢献ということで言えば、日本独自の空気が形成されたという、他の時代には見られないよい点もあったのではないでしょうか。

鎖国でたまったパワーが明治維新を起こした

 福沢諭吉が大阪の蘭学塾「適塾」に通っていたことは有名ですが、彼の自伝を読むと、適塾での勉強は異様なほどすごかったことがわかります。まず、生徒は何十人もいるのに、辞書は二冊ぐらいしかない。たった二冊の辞書を塾生全員が使い回ししなければならないのです。辞書もありませんが、本も原本がない。仕方がないので、写本をする。写本のスピードをアップさせるために、他の塾生に本を読み上げてもらい、それを聞いて書き取っていくのです。
 私たちは、耳で聞いただけでスペルを間違えずに書き取るなんて無理だと思いますが、福沢は、そんなのを間違えるやつはほとんどいませんと言い切っているのですから、すごいです。
 私は、こうした勉強の仕方にも、鎖国パワーのようなものを感じます。少しずつ入ってくる海外の情報を徹底的に勉強する。そういう意欲がたまりにたまって、明治維新のときに一気にバーンと加速したのではないでしょうか。もしこれが徐々に緩やかに入ってきていたら、解禁されたときのようなパワーは生まれなかったと思います。
 鎖国状態での二二〇年間、日本人が最も飢えていたのは、外からの刺激です。もっと刺激を与えろという感じで、人々は爛熟していた。明治になり、そこに一気に情報が流れ込んできたので、みんなが夢中になっていったのだと思います。
 そういう意味で、明治維新というのは、それまでためにためてきた鎖国パワーを、改革のパワーに変えて、一気に炸裂させたと言えると思います。逆説的ではありますが、鎖国が明治維新の推進力になったのです。

改めて評価すべき「鎖国」の価値

 私は、鎖国ではないにしても、「ちょっとだけ世界から放っておいていただけませんか。一〇〇年か二〇〇年後にすごく面白いものをお見せしますから」ということができないものなのか、と一時期考えていたことがあります。
 鎖国することによって内なるものを高め、同時に外に対する渇望も極限まで高める。そして、高まりきったところで一気に解禁してドーッと伸びていく。周囲のことは気にせず、誰も自分の周りではやっていないようなことをひたすらやっていく。すると、そこから、誰も思いつかなかったような理論を立てられるようになっていく。こうして独自のものができていくという寸法です。誰も手を付けないこと、誰も結び付けようとも思わないことをやっていって、自分独自の世界を作るのは、とても楽しいことです。
 ワールドワイドのスタンダードというのではなく、自国内だけで通用するような、しかもピンポイントで、突きつめているようなものが、やがて何かはじけたときに、すごい市場価値を持つのではないでしょうか。
 私は鎖国と開国を経験した日本の姿を見てきて、そう感じることがあります。みんなが海外にあるもののまねばかりしていたのでは、日本の価値はいつまで経っても上がらないでしょう。日本が成功するためには、やはり「日本ならでは」の部分をしつこいまでに追求し、掘り下げていくことが必要なのだと思います。
 さあ、コロナは明けました。パンデミック以降、蓄積したものを一気に解放し、日本らしさ、自分らしさをさらに活性化していきましょう。

vol.55 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2024年2月号掲載

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