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Vol.63 「十三夜」を楽しみましょう。

タイトル

日本の自然が育む四季

 私たちはふつうに生活していると、四季の移り変わりに気づかないことがままあります。とくに都会で暮らしていると、農業に従事している人のように、敏感に季節を感じることができません。
 「暑くなった」「寒くなった」と、たんに体で感じるのは動物も同じです。空に浮かぶ雲を見たり、道に咲く花の香りをかいだり、鳥の鳴き声を聞いたりしたときに、ふと季節を教えてくれる言葉が思い浮かぶこと、それが人間が積みあげてきた文化です。季節の言葉を知ることによって、季節や自然の変化に気づけるようになります。そして “季節感”を文化として感じられるようになります。
 私は「身体論」の研究をしてきて、体は“場の雰囲気”から切り離すことはできないと考えています。たとえば、カンカン照りのときは体がカッカと熱くなり、北風が吹いて寒いときは体がブルブルふるえます。あるいは暗い曇りや雨の日は、気持ちもどんよりします。 「晴耕雨読」という言葉があるように、そんな日は静かに本を読んでいるほうがしっくりきます。
 それほどまでに、私たちの心身は天候をはじめ自然から影響を受けています。私たちは、季節の移り変わりを季節の言葉とともに敏感に感じ、それを楽しむことで、初めて人間らしく生きられるのではないかと思います。

九つある雑節と風習

 中国も日本も、かつては太陰太陽暦(旧暦と呼ばれる)を使っていました。旧暦では新月の日が毎月一日となり、立春から一年が始まります。中国では現在も、旧暦の正月を「春節」と呼び、お祝いしています。
 また、旧暦には季節の目安として設けられた特定の日や期間もあります。これを「雑節」といいます。雑節は、中国伝来の二十四節気をおぎなう形で設けられ、農作業をはじめとする日本独自の風土や暮らしの要素を多分に含んでいます。
 節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日。全部で九つから成り立っていますが、最大の特徴は、農作業などをするうえでの指標になってきた点です。
 たとえば、立春から数えて八十八日目にあたる「八十八夜」は稲の種蒔きや茶摘みを始める時期、太陽黄経が100度になる「半夏生」は田植えを終える時期、一年に四回ある「土用」は季節の変わり目にあたる健康に留意すべき時期です。ほかにも旧暦には、みなさんもよくご存じの「五節句」があります。1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句に、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句。季節の変わり日に無病息災を祈願した祓いの儀式がもとになった節日で、奈良時代に伝わったものですが、今でも形を変えて現代に受け継がれています。そのように雑節の日を目安に、さまざまな風習や禁忌などが生まれてきたのです。

月とともに生きる

 旧暦である太陰太陽暦が古代中国で誕生したのは、黄河文明が農業を中心に栄えていたことに関わっています。穀物や果実は、月が満ちていく上り月に植え、月が欠けていく下り月には根菜類を植える。そのように、植物の生長と農業を関連づけるには、月の満ち欠けを基準にした暦が、最も適していることを当時の人々は知っていたのです。
 昔の人にとっては月の満ち欠けがカレンダー代わりでした。見えない状態の月、新月から満ちていき、今度はゆっくりと欠けていく。新月から次の新月までをひと月としたのです。昔の人は、このように日々、表情を変える月に、「三日月」「上弦の月」「下弦の月」などと、細かに名前をつけました。
 中秋の名月の「中秋」とは秋という季節の真ん中を意味し、旧暦でいう8月15日のこと。今の暦ではおよそ9月。毎年、名月の日にちは変わります。その日の月が十五夜の月、名月です。今の暦で考えると9月中旬ごろになります。名月を愛でる習慣は、暦が日本に伝わる前からあり、里芋やお団子を食べる風習もあり、「芋名月」と呼ぶこともあります。新暦は旧暦よりも約1か月早くなります。
 「名月を取ってくれろと泣く子かな」(一茶)。中秋の名月は必ずしも満月であるとは限らず、むしろ異なることが多いようですが、それでも、ほぼ丸い月は、普遍的な美しさを湛えています。その十五夜に次いで美しいとされるのが、一か月遅れの十三夜の月です。十三夜には栗や豆を供えることから、「栗名月」、「豆名月」ともいいます。昔から「十五夜の月を見たら十三夜も必ず見なさい」と言われます。これらを合わせて「二夜の月」といい、どちらか一つだけは「片月見」と呼ばれ、縁起が悪いとされてきたのです。
 月は約29.5日の周期で、新月から満月、そして満月から新月へ満ち欠けします。風流な呼び名を知れば、毎日、月を見上げることが楽しくなるでしょう。

日本人の心はどこに在るか

 自然を楽しみ、自然を慈しみ、自然と闘ってきた先人の感性。旧暦に沿って暮らしてきた日本人の感性に触れたとき、遠い昔の心のふるさとに帰っていくことができます。
 日本の気候風土の中で育まれた感性は、そう簡単に薄れるものではありません。時代や環境が変わっても、変わらないものがあるのです。そして、自然を丁寧に見つめる言葉こそが、私たちの心をなぐさめ、心をやしない、新たな想像力や感性を生みだす力になることでしょう。

vol.63 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2024年10月号掲載

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