HOME > 齋藤孝先生インタビュー > Vol.78 日本独自の歴史を味わいましょう。
Vol.78 日本独自の歴史を味わいましょう。
日本の歴史を学び直してみませんか
新しい年が始まりました。「令和」の8年目を迎えます。ご存じの通りこの元号は万葉集を典拠とするもので、日本の古典が採用されたのは、今回が初めてのこと。国際化が進む中、拠り所として日本文化の源流が意識されたのかもしれません。
さて、突然ですが、あなたは日本という国、日本の文化について人にちゃんと説明ができますか? 自分の国について語ることができない人を、欧米社会では相手にしてくれません。また、歴史を知っていれば、現代に起こっている出来事をとてもよく理解できます。
何よりも、こんな面白いことを知らないのは、非常にもったいないと思うのです。正直に告白すると、学生時代の私は、日本史はあまり得意ではありませんでした。教科書や参考書を見ても、「こんなことまで知らなくてもいいじゃないか」ということばかり、覚えさせられるような気がしたものです。
教科書や参考書を読んでも、なぜ歴史が面白くわかるようにならないのでしょうか? たとえば、受験では『凌雲集』や『文華秀麗集』、『経国集』といったものの名前を覚えなければいけないのですが、そうしたものの多くは、教科書の本文ではなく、下の注に小さな文字で書かれています。それらは受験では重要とされるけれど、歴史の流れから見ればさほど重要ではありません。
本来は重要ではないものが、受験では重要な知識とされている。こうした「ズレ」が、歴史の勉強から「意味」を失わせてしまっていたのです。
これでは、歴史の本当の面白さはわかりません。オトナになったいまこそ、もう一度日本の歴史を勉強しなおしてみませんか? 重箱の隅をつつくような知識はもういりません。受験のための勉強法からは離れ、本来の学問のスタンスに立ち戻って、日本史のネタを見つけ、その本当の「おいしさ」を味わいましょう。
欧米社会で要求される「ネタ」のストック
私はよく学生に「ネタ帳をつくりなさい」と言います。実は、「ネタを持つ」ということは、日本人に足りない発想なのです。お笑い芸人がネタ帳を作ることで芸の数を増やしていくように、私たちもネタ帳を持たなければ話題(話のネタ)は増えていきません。
アメリカ人は、会話のときに常に「ネタ」を求めると言います。話のネタは、なんでもいいとはいうものの、もし私たちが外国の人と話をするのであれば、自国の文化や歴史について述べることが望ましいと私は思います。
海外赴任経験のある友人が言っていたのですが、外国で信用されるためには、自国の文化や歴史についての知識をもっていることがとても大切だそうです。そこが弱いと、他でどんなに努力をしても、なかなか信用されないというのです。
「ネタ」を集めるという視点で見たとき、
歴史というのは、まさにネタの宝庫です。しかも、歴史的なネタは、だれでもちょっとは聞いてみたいと思うものです。特に、外国人や日本人でもあまり歴史が得意ではない人に対しては、歴史の「すごいよ! ネタ」は絶大な効果を発揮します。
こうしたネタが見つかると、面白いもので、誰かに言いたくなるものです。そして、つい、普段の会話の中でも「ねえねえ、大化の改新って知ってる?」と聞くことになり、相手が「知ってるよ」と言っても、「でもね、知ってる? あれってすごいんだよ」と、自分のネタを語らずにはいられなくなるのです。
古代史の専門家も万葉集に注目
さて、いまの元号の「令和」ですが、万葉集が出典で、20巻から成る長大な書物で、4500首もの和歌が収録されていることはみなさんご存じだと思いますが、そこには、世相なども詠まれています。いまの時代なら、「SNS」とか「You Tube」などの言葉が、和歌に組み込まれています。それに加えて、万葉集が映し出すものは単なる世相だけではありません。「歌は世につれ」なんてなまやさしいレベルではなく、権力闘争だの、それにからむ陰謀だの、処刑だの、かなりこわい「史実」が透けて見えるのです。
「大化の改新」と聞くと、みなさんはまず「ああ、天皇による中央集権国家が成立した、あの出来事ね。それまで豪族に牛耳られていた政治が刷新されたんだよね」というふうなことを思い浮かべるでしょうか。
間違いではありませんが、単純に明るい改革とも言えません。というのも、始まりは中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺(乙巳の変)で、これはクーデターというよりテロ事件です。
実質的に日本を支配していた蘇我氏を、中大兄皇子や中臣鎌足が倒し、皇子の母にあたる皇極天皇に政の中心を戻したのが「大化の改新」です。
しかし、目の前で入鹿の首が刎ねられるのを見た皇極天皇は、相当ショックだったのでしょう。退位してしまいました。その跡を継いだのが、皇極の弟の軽皇子です。といっても、すんなりとはいきません。皇極は中大兄皇子に譲ろうとしたものの、本人は頑なに拒否。軽皇子を推しました。その軽もまた辞退したのですが、結局、断り切れずに跡を継ぎ、孝徳天皇になったのでした。
孝徳天皇は即位後、人心を一新するため、元号を「大化」とし、大化の改新を進めました。中央集権の基盤を構築する各種革新は、この天皇の下で行われたわけです。ここで初めて元号が使われます。それ以降、約1300年以上、「令和」まで248の元号が続いています。
私たちの暮らすニッポンという国は「おいしい」ネタが満載です。知れば知るほど、思わず人に話して聞かせたくなること請けあいです。
vol.78 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2026年1月号掲載

