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Vol.80 世の中にあふれる情報を、生かすのは自分次第です。
これからは自学自習が王道になっていく
インターネットのおかげでいつでもどこでも誰でも簡単に情報にアクセスできるようになりました。ネットの世界には、人の興味をそそるキャッチコピーや画像があふれていますから、日々、「情報のご馳走」を目にしているようなものです。しかし、ご馳走を見るだけでは味はわかりません。どんな料理人が、どんな素材を使って、どう調理しているのかもわかりません。目に飛び込んでくる情報の流し読みは、理解とは異なるただの消費行動で、あなた自身の思考が深まることも賢くなることもないのです。
インターネットを活用すれば知識は増やせますが、玉石混淆の情報の中から正しいものを見極めなければなりません。また、バラバラの知識を拾い集めても記憶から抜け落ちていくだけですから、それぞれのつながりを見つけて、クモの巣のように知識のネットワークを広げていく必要があります。
そこではじめて思考が動き出します。一つひとつの知識の意味とつながりを見つけることによって、全体的なモノの見方ができるようになるのです。それは自分の価値観や考える力を養うことでもあり、人格形成にもつながっていきます。情報社会で一番見落とされがちなポイントはそこです。今ようやく、思考力と価値観と人格を形成する自学自習の必要性に、多くの人が気づきはじめているのでしょう。
そこで、学生時代から読書を基本に自学自習を続けてきた私が、自ら学ぶことのススメ「自学自習の極意」をお伝えします。
信頼に値する先生(本)から学んでいるかどうか
以前、雑誌で中国の武術の達人と対談をしたことがありました。その先生が、「日本人は練習というものを勘違いしている」と言うのです。
「道場に来て練習することが“練習”だと日本人は思っているけれども、そうではない。道場に来るまでの1週間なり1か月間に、習ったことを復習するのが練習である。先生に会うのは、その練習の成果を見てもらうためだ」と。
つまり、練習というのは基本的に一人でするもの、という考え方なのです。
これは、先生のところへみんなで集まって練習することが「練習」だと思っている、日本人の考え方とは異なります。武術に限らずスポーツでも勉強でも、自主練習や自学自習なくして技術や能力を高めることはできません。受験勉強もそうですよね。学校の授業以外に、どれだけ自学自習を頑張れるかが、合否を分けます。
けれども、そこには落とし穴があって、自己流で進めていると方向性がずれてしまう可能性があります。ですから、信頼に足る先生の存在が不可欠なのです。
たとえばインターネットの世界にも、信頼できる先生はたくさんいるでしょう。その先生が、実績が確かな専門家であれば学ぶことには大いに賛成します。しかし、膨大な情報の中から本当に信頼できる先生だけを選んで、情報を取捨選択して、体系立てて自分のものにするのは大変です。
情報過多な時代だからこそ歴史に残る本が再評価され、読書の価値が高まっていると私は感じています。インターネットで興味関心のある情報に触れたら、その原典である本を読むことで知識を定着させるのです。
情報の波に乗って知識を広げるだけでなく、読書で深める。それが本当の意味での自学自習です。活字は、それほど人間の記憶と思考に関して優れた効力を持っているのです。
デジタルとアナログのツールを並行して活用することで、学んでも学んでも、学び尽くせないほどハイレベルな自学自習ができる。そういう意味で今はもっとも自学自習環境に恵まれた時代と言えるでしょう。
ところが、インターネットを学びにまったく活用していない人や、本を読まない人がたくさんいるのも事実です。私の教え子の学生に聞いても、インターネットでSNSや動画を見ている時間は長いけれども、本を読む時間は減っているという人がほとんどです。
本を読まなくてもネットの情報を見ているだけで学びになるし、なんでも知ることができると主張する人もいるかもしれません。しかし、前にも述べたように、インターネットの世界には間違った情報もあふれています。
アルゴリズムで流れてくる情報は、あなた仕様に偏りすぎています。そもそも一方的に流れてくる玉石混淆の情報を、ただ眺めているのは「情報の消費」であって「学び」ではありません。せっかく恵まれた学習環境がありながら、ネット情報を見るだけの時間を浪費する毎日を過ごすか。インターネットも本も活用して知性と教養を身につけ、人間的に成長して豊かな人生を生きるか。
両者の明らかな違いはたったひとつ。自学自習力の差なのです。
学ぶことは、生きること
私が人間の可能性に驚いたのは、『記憶喪失になったぼくが見た世界』(朝日文庫)というノンフィクションです。著者の坪倉優介さんは、大学1年生のとき交通事故に遭い、記憶だけでなく、食べることや眠ることなどの感覚さえわからなくなり、お金も文字も、母親のことまで忘れてしまった方です。
―――生まれたばかりの赤ちゃんと同じような状態から、新しい自分を生きはじめて、世の中のすべてを学び直していく過程。母親のことを心から「お母さん」と呼べるようになり、草木染職人として自立するまでの歩み―――
坪倉さんの本で私がもっとも感銘を受けたのは、人間はどういう状態になっても学ぶ能力は失われることがないということです。
そして坪倉さんのように、自分という人間が生まれ変わるような事態が起きたとしても、情熱を注げる対象を見つける能力が失われることもないのです。学ぶ能力と、情熱を注ぐ能力があるということは、人間が生きていることの証明です。
インターネットで情報に詳しくなることも、知識の広がりという意味では学びになります。しかし、指1本で検索できる便利さは、情報を右から左に流すだけになりがちで、人間の頭を鍛えてはくれません。むしろ、考える力をどんどん奪われていると思ったほうがいいでしょう。だからこそ今、自発的に学ぶ力が求められているのです。
学ぶことは、生きること。
今のあなたをつくっているのは、今まであなたが学んできたことです。そして、自ら学び続けることがこれからを生きる力になるのです。
vol.80 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2026年3月号掲載

