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Vol.14 学校から「けじめ」がなくなるとどうなる?

 

 いきなりですが皆さんに問いかけをしたいと思います。「職務時間中にテレビでWBC観戦」は許されますか? 許されませんか?「あれだけ盛り上がったWBCだったら“あり”だろう」というお考えですか?
 では、これが学校の職員室の話だったらどうでしょうか?

部活動より侍ジャパン?

 WBC優勝の余韻がまだ残る3月下旬、ある新聞に『部活より侍ジャパン? 顧問教諭が「顧問」せず』という見出しが躍りました。簡単に内容を紹介すると、
 決勝戦が行われた3月24日、終業式を行い午前中に授業が終わったある学校でWBCのテレビ観戦が始まった。午後1時からクラブ活動開始だったが、部活動の顧問の教諭はたまに様子をのぞいては観戦に戻るなどしてクラブ活動の監督を怠っていた
 というものです。私などは、普段であればボツにするけれど「『侍ジャパン』という旬のキーワードが入っているから採用した」というレベルではないかと推測するのですが、先生の中には「テレビくらい見てもいいだろ」などと、まるで自分が責められているかのように真剣に怒る人もいらっしゃるようです。先生の立場からすると「どうしてこんなことでまで責められるの!」といったところでしょうか。


教師の「けじめ」

 私は学校コンサルタントとしての仕事も請け負っています。もしもこれが自分の関わっている学校での出来事だとすれば、私は問題にします。
 報道から推測するに、おそらく午後1時までが昼休みだったのでしょう。昼休みにテレビを見ることは問題ありませんが、私が気にするのは「昼休みを過ぎてもテレビをダラダラみていたこと」です。テレビを切る雰囲気がないこと、もしくは声掛けをすべき管理職が見逃していたこと、これはちょっといただけません。
 この日が終業式だったことを差し引いたとしても、「緊張感の欠如」ととるべきだと思うのです。
 最悪の場合を想像すると、この先生は今後「始業のチャイムが鳴っているのに席につかない生徒」を怒る説得力を失います。だって、自分自身が「遊びと仕事の区別」をつけられない大人だとばれているわけですから。これまで「部活中は集中!」なんて言って引っ張ってきた先生であれば、今までの頑張りも崩れます。自分が集中できていないわけですから。この日が終業式だったので、先生や学校が1年間コツコツ築いてきた生徒に対する信頼が一瞬で崩壊した可能性だってあるわけです。
 皆さんの中には「そんなおおげさな」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、保護者や生徒との信頼関係が崩れるきっかけは、このようなちょっとしたほころびを見逃すことから始まります。普段から生徒に「けじめ」を求めるのであれば、少なくとも学校にいる間は、先生自身も「けじめ」をつけなければ先生の言動に説得力はありませんね。「勉強と遊びのけじめ」について説教する先生が、「仕事と遊び」の境界線を踏み越えてしまうということは、「子どもを教育する立場」にある人としてやるべきではありません。
 「先生と保護者」「先生と生徒」の関係においては、より「けじめ」を重視すべきは先生の側であって「先生を演じきってブレない姿勢」を徹底するプロ意識を持つべきだと思います。
 少なくとも私は先生に対して、この程度の緊張感は求めます。


保護者の「けじめ」

 では、「保護者と子ども」の関係においてはどうでしょうか。この関係でいえば保護者に「けじめ」が必要であることは言うまでもありません。子どもに「勉強しなさい」と言っておきながら、親が大音量でテレビを見ていては説得力もありませんし、親自身が夜更かしや朝寝坊をしていれば、子どもの寝坊を怒ることもできません。最悪な場合には自分が寝たいからといって、寝坊を肯定してしまうこともあるようです。
 ここからは私見ですが、これがモンスターペアレントの生成過程だと思うのです。こうして「怒れない親」になってしまえば、子どもの問題に対して自分では解決できず収拾がつかなくなって、学校に丸投げして(「学校でしっかり教えていただかないと困ります!」というやつです)、先生のせいにしてしまう。こういう構図が想像できるのです。この点については、私は先生に同情しています。


教育に理念を

 学校は何でもかんでも保護者の声を聞いていればいいかというと、決してそうではないでしょう。そんなことをしていれば先生の体がいくつあっても足りません。
 保護者や子どもと本当の信頼関係を構築するために学校側に問われることは、保護者に対して「ダメなものはダメ」とはっきり言えるような明確な理念があるかどうかということです。残念ながら公立の場合は、国の方針そのものがグラグラしているし、校長が代われば学校の方針だって変わることはあります。おまけにもしも先生に「けじめ」がないとすれば……、説得力をもって「ダメ」ということはできないでしょう。公立が改善しなければならない点は「ゆとり教育の是正」だけではないはずです。
 それに対して私立はどうでしょう。私立の使命は「ゆるがない理念を掲げて継続すること」だと考えます。だから、この理念が継続できなければ存在価値を失います。その理念に基づいて「ダメ」と言えるかどうかにかかっていると思います。
 皆さんもご存知だと思いますが、かつての中学受験では「塾に行かず学校だけの勉強で難関校に合格」という例がたくさんあったそうです。それはなぜか。ゆとり以前の教科書には「つるかめ算」とか「植木算」など、今では塾でしか学べない内容も掲載されていたからです。ちょうど私の年代から教科書から姿を消しているのです。
 しかしながら現在難関校と呼ばれる私立中学の多くは、自校の理念に基づいてそれらの内容を、国の方針を無視して出題し続けたわけです。国の方針が正しいか正しくないかではなく、当時「我が校の方針は○○です」とはっきり言って実行すること(これには大変な苦労や覚悟を伴いますが)で、保護者の信頼を勝ち取り、結果として大学合格実績に関してほとんどの公立高校を追い抜いていったのです。
 私は教育に理念が必要だと考えます。この理念があればこそ、公立であれ私立であれ、ベテランであれ新人であれ、先生に「けじめ」やプロ意識が育っていくのだと思います。

vol.14 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2009年 5月号掲載

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