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Vol.18 日食で浮かび上がった「もう一つの教育格差」

 

 去る7月22日、日本中が日食をイベントとして楽しんだ感がありました。皆様の地域ではいかがだったでしょうか。お子さまは観測に成功しましたでしょうか。私は鹿児島まで出向いて96%の日食を観測してきました。あいにくの天気でしたが、それがかえって「雲の切れ間から太陽が顔を出したときの感動の演出」につながって楽しむことができました。
 私が参加した「日食観測会」の主役はもちろん子どもたちですから、仕事柄太陽の様子と並行して子どもたちの様子もチェックしていました。すると、残念なことですが、日食のような「わかりやすい大イベント」でさえ関心をあまり示さない子どもが一定数存在するのです。昨今叫ばれている「理科離れ」の一端を目の当たりにし、衝撃を受けました。日食終了後、先生たちと「無関心だった子どもたち」について話し合いましたが、やはり学校で行える取り組みには限界があることはいうまでもありません。
 子どもたちの「無関心化」について考えていくと、どうしても最終的に行き着く先が「目に見えない、報道されない『もう一つの教育格差』」の問題になってしまうからなのです。

教育格差≠親の収入の差

 報道などでよく目にする「教育格差」とは、親が低収入だったり低学歴だったりした場合に、子どもがそれを引き継いでしまう「格差の世襲」を指す場合がほとんどです。聞いたところでは、東大に入学した学生の保護者の平均年収は1100万円前後(4年生大学昼間部全体平均だと840万円前後)だそうです。現実問題として東大に入学するためには、塾や予備校に通ったり、有名私立中学から6年一貫の教育を受けたりする人の比率が高いわけですから、「親の収入が子どもの学力・学歴に影響する」可能性は否定できません。「教育格差=親の収入の差」と考える人が多いのも当然でしょう。でも、どんなにお金持ちの家庭に育ったとしても全員が東大に進学できるわけではありませんから、簡単に「=」で結びつけることに私は疑問を感じます。
 私は、子どもの教育費にまわせる経済力以外にも影響を及ぼす「何か」の存在を強く感じます。それが「目に見えないもう一つの教育格差」で、具体的には「もう一つの教育格差=親の知的好奇心の差」なのではないかと強く感じています。


親の知的好奇心の差=教育格差

 日食であれ何であれ、子どもが自然科学に興味を持つきっかけは間違いなく親の影響です。「親は無関心だったけど子どもが勝手に興味を持って……」という話を、私は聞いたことがありません。例えば日食であれば、両親が共働きであったとしても「親が日食に関心を持っている姿勢」を演出することは可能です。「日食の様子を夕食の時に教えてほしい」とお願いしておくだけでも、小学生であれば関心の持ち方は大きく変わってくるはずです。親自身が日食に無関心であれば、子どもだって「日食って何?」と関心を持つ可能性は低くなることでしょう。
 子どもたちの「理科離れ」を心配するのであれば、あるいは「子どもが理科が苦手で……」と悩むのであれば、まず子どもの周辺にいる大人たちが自然科学に対して、「ワクワクしている姿勢」を見せる必要があるのではないでしょうか。
 皆さんのお子さまは、小さい頃公園で虫を捕まえたりしませんでしたか? 私の長男もかつて虫が好きで、色々な虫を捕まえては妻に見せていました。長男は虫ごとの違いを懸命に伝えようとしたのですが、妻は違いがわからないどころか、そもそもにして虫が好きではありませんから「また虫なんて捕まえてきて! すぐに逃がしてあげなさい!」と子どもの関心を共有しようとしませんでした。こんなやりとりが何回か続いた後、長男は妻に虫を見せなくなりました。
 大人がこんな姿勢で子どもに接していては、どう転んでも「自然科学に興味を持つ子ども」には育つはずがないということは、おわかりいただけるでしょうか。我が家にはその後の顛末があって、妻は今になって長男に対して「理系の大学に行ったほうが就職が有利なのよ。どうして理系に興味がないのかしら」などと真顔で言うのです。冗談でも何でもなく、かつての自分の接し方が影響を与えた可能性があることに気がついていないのです。これこそが「目にみえないもう一つの教育格差」の最もわかりやすい例だと思うのですが、いかがでしょうか。


肌で感じた知識=21世紀型の学力

 自然科学に興味を持つには、あるいは理科を好きになるためには、机上で学ぶ知識の蓄積だけでなく「経験して肌で感じた知識」の蓄積の必要性を強く感じます。その源は間違いなく「知的好奇心」です。今回の日食にしても、TVでは「日食の経過」を見ることはできても、耳や肌で感じることはできません。実際に外に出れば、例え雨が降っていたとしても「暗くなっていく様子」「急に涼しくなる様子」をフルに感じることができたのです。
 日食後、『那覇市では気温が1.5度、皆既状態となった奄美大島の名瀬では1.1度下がっていた』『日食の際、福岡市・天神でビルの壁の表面温度が約10度も低下していた』といった新聞報道もありました。来春の入試では、この理由を問う出題が多くなるだろうと誰でも予測できます。
 日食の時エアコンで冷え切った塾の教室で、先生に教えられた理由を暗記した子どもの答案と、当日雨の中で観測を続けた「自分の経験」を基にして論を組み立てた子どもの答案では、学校側はどちらを求めるでしょうか。少なくとも「21世紀型の学力」を考える学校では後者を意識しているはずです。

vol.18 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2009年 9月号掲載

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