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Vol.216 我々大人こそ考えておきたい「AI と共存する未来」

 いきなりですが、みなさんに「人間の想像力は人工知能(AI)の普及によって豊かになると思いますか、それとも乏しくなると思いますか。理由や例などを挙げて考えを述べてください」という質問を投げかけたいと思います。私も先日問われたのですが返答に窮しました。AIを通して世の中がどのように変わっていくのか、現在の小・中・高校生に持たせておくべき資質は何なのか、子どもたちに接する一人の大人として自分の考えはしっかり持っておく必要を感じたのです。

AIは人間にとって味方? それとも敵?

 種明かしをすると、この質問は2025年に京都大学で出題された「大学入試問題」でした。しかも小論文ではなく、英語の自由英作文(80語~100語で記述)としての出題でした。英語で解答する前に「自分自身で考え、自分なりに整理し、まとめる」という問題解決能力が問われていることにも注目してください。もちろんどちらが正解かは現在のところ誰にもわからないので、採点のポイントは論理性と英文・英単語の正確さが伴っていればOKです。
 一方、小論文としての出題では2023年に北海道情報大学で出題された
 人工知能(AI)が発展すると近い将来「人工知能(AI)が多くの人から仕事を奪う」という時代が来るといわれていますが、これについてあなたの考えを述べてください。また、そのような時代に生きるあなたは、これから大学でどのように学び、生きていく必要があるのか自分の意見を800字以内で述べてください
という問いを、私は保護者会などで紹介しています。
 大学生や高校生が課題を生成AIで作成しているという事例はもう珍しくありませんし、私が教えている中学生の間でも生成AIはすっかりおなじみのツールとなっていて、調べ学習などで生成AIを使ってレポートを作成する子が本当に多いという話をよく聞きます。その結果、ほとんど内容が変わらないレポートが何本も提出される事態となり、課題作成における生成AIの利用を禁止する指示が出ていることも多いそうで、中学生からは「学校の先生が生成AIをよく思っていない」と見えるようです。
 中には面白い先生もいらっしゃって、ご自身も生成AIでレポートを作成し、検索ワードは伏せたままで生徒に配った上で「これと同じと判断されるレポートは評価しない」と宣言されたそうです。おそらく生徒たちが生成AIを作ってみると、ほとんど同じものができあがるのでしょう。
 同様の事例を経験している高校生あるいは保護者のみなさまにとっては、学校における生成AIとの向き合い方や、入試問題に飛び交う「豊か・乏しい」「仕事を奪う」といった文言から「AIは人間の味方なのか敵なのか」と問われているように思われるかもしれません。少なくとも私はこのように読み取りました。しかしながら、AIに詳しい友人に聞いてみると、
 「いまさら味方も敵もないよ。AIはすでに社会インフラとして機能していて、今後ますます普及していくことは確定している。もちろんAI任せAI依存では想像力はガタ落ちしていく。そうならないように教育すればいいし、AIが不得意な分野を知ってそこで価値を発揮すればいい。つまり、人間とAIの共存がポイントで、大半の大人は子どもに教えられないのだから、逆に大人にヒントを授けるつもりで書けばいい。使っていない人には想像もできないのだから」
 と言われ、私は深いため息をつくことしかできませんでした。

AIが不得意な3つの分野とは

 AIと共存する社会で求められる人物像について、みなさまは想像ができますか。友人の言葉を借りれば「AIが不得意な分野で、一芸に秀でたエキスパートになればいい」とのことです。聞いた内容を具体的に紹介していきます。
創造性思考の分野
 たとえば「定期的に運動する人ほど収入が多い」という調査結果がありますが、AIができるのは「定期的な運動頻度」と「収入」の相関関係を正確に分析するところまでで、「どうして?」の部分は判断できないそうです。特に仕事の場面で、商品の売れ筋予測などをさせてみると「データの上では正しいが到底現実的ではない」結果を出してくる場面があるそうです。過去に売れたというデータが残っていても、その原因(流行や文化の影響、時代背景など)を読み取ることができないからです。
 つまりAIが出した様々なデータを組み合わせて新たな価値を創出できる人、あるいは組み合わせるデータの種類を判断できる人は、この先も必要とされるようです。
非マニュアル対応の分野
 データの上では正しいとわかっているけれど感情がついてこない、いわゆる「根拠のない不安」を持つことは誰にでもあるでしょう。たとえば「合格率80%ですから普段通りの力を発揮すれば大丈夫ですよ」と言われたとしても、それでも不安に感じてしまう小・中学生は一定数いるものです。医療の現場だとカウンセリングや問診といった場面で、患者さんの不安を取り除いてあげることも医師の仕事の一つだと聞いたことがあります。農業現場では、ある部分では非科学的ともいえる「経験と勘」が必要な場面があります。温度の判断、種まきのタイミングなど、マニュアルとしてデータを揃えることはできても、実際は土地の環境や天気などによって臨機応変な対応が必要であることは言うまでもありません。
 このような「データ通り、パターン通りに事が進むとは限らない」分野においては、人が積み重ねてきた経験や知見の価値は不変のようです。
社会的知性の分野
 簡単にいえばコミュニケーションや協調性といった対人関係が影響する分野です。チームをまとめるリーダーシップ、自分とは異なる考えや価値観を持った人と折り合いをつける交渉能力、相手の気持ちに寄り添ったサービスを提供できる観察眼など、技術やデータだけでは解決できない能力を持つ人の価値は今後ますます高くなりそうです。
 この3つの分野に私が関わっている「受験」という視点を重ねると、大学入試において総合型選抜が急速に浸透している理由として⑶が、小学生から高校生まで一貫して「データの活用」が算数や数学で取り入れられている理由として⑴がそれぞれ連動していることはわかります。しかしながら⑵ はどうでしょう、「臨機応変な対応力」を受験と組み合わせるのはさすがに難しいように思います。
 我々が受験生だった昭和を振り返ると「習ったことを正確に処理するパターン対応」「処理のすばやさ」が強く求められてきました。これは昔も今もテストの得点を上積みするためには確かに必要で、これは時代が令和に変わったからといって軽視してよいわけではありませんが、⑵で求められている要素と方向性が一致しているわけではありません。だからこそ我々大人の子どもたちへの接し方は、昭和や平成の頃とは少しずつ変えていかなければならないと私は思います。
 たとえば算数の文章題で「これはかけ算で解くの?わり算で解くの?」という質問をする子が少なからずいるのですが、目先の正解を求めるのであれば「これはわり算ね」とすぐに方針を見せてあげることが最適なのかもしれません。しかしながらこれでは「この場合はかけ算ね、この場合はわり算だ」と問題文の数値だけを拾ってパターンに当てはめる学習に終始することになってしまいます。将来を思うのであれば、かけ算で答えを求め、わり算でも答えを求め、問題文と照らして正解を探し、どうしてかけ算ではだめなのか、細部まで自分で確認する習慣をセットで経験させる必要があります。
 中学・高校時代に数学で登場した公式や定理について「証明はいいから、とにかく結論だけ教えてよ。それを覚えてあてはめれば答えがでるんでしょ」という考え方で勉強を進めた経験はありませんか?最終目標が定期テストであればこれでよいかもしれませんが、未来を見据えるのであればその成り立ちから理解しておく必要があります。算数や数学を通して「考え方の土台を作り経験の積み方を習得する。臨機応変とはこの経験の先にある」ことを教えるのは、我々大人なのです。
 確かに時間も手間もかかりますから、今この瞬間だけを切り取れば遠回りに思えるかもしれません。しかし、「非マニュアル対応」への意識の差は、受験のみならずお子さまが社会人になった後にきっと表面化することでしょう。
 人工知能(AI)と人間が共存する社会は、もうそこまでやってきていると私は思っています。

vol.216 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2026年4月号掲載

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