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Vol.31 杉並区が考える「教育の新しい形」
去る8月4日~6日の3日間、東京都杉並区では区立中学校の生徒を対象に、合同学習会「チャレンジクラス2010」を行いました。この特別授業は、生徒たちの「進学を控えて、もっと難易度の高い学習にチャレンジしたい」「前学年の内容に戻って苦手な分野を克服したい」「数学の面白さを学びたい」といった声にこたえ、区教育委員会が今年度新規事業として始めたものです。実は私も、この授業の数学科責任者として全コースの教材作成と授業を担当しました。今回は、この特別授業のレポートとこの取り組みから読み取れる「教育の新しい形」について考えてみます。
合同学習会「チャレンジクラス2010」
この学習会では「応用力強化コース」「苦手克服コース」「面白数学コース(私が担当しました)」の3つのクラスが用意されました。こうした学習会だけであれば、または習熟度別の編成だけであれば、杉並区に限らず最近は各地で行われているということも耳にします。決定的に他と違う特筆すべき点は、区立中学校教諭・都立高校教諭・私立高校教諭、そして塾講師が協働で特別授業を行った点です。
苦手克服コースではチーム・ティーチング(ひとつの教室に2人の教員を配置する)が行われ、中学校教諭がメインで授業を行い塾講師がサブで生徒を個別に指導するといった非常に珍しい場面(逆もあり)を見ることができました。授業前には、用意された教材の指導法や授業の進め方について、中学校教諭と塾講師が意見をぶつけあう様子があちこちで見られました。これはお互いにとって貴重な体験となったことでしょう。
応用力強化コースは日替わりで指導者が変わるケースが多く、生徒たちにとっては中学校教諭・高校教諭・塾講師を見比べることができる貴重な機会となりました(逆に言えば、生徒たちによって品定めをされるということです)。高校教諭は「高校入学後の生徒たちの学力」を把握しているわけですから、そこから逆算して「先輩たちの多くが○○を苦手にしている。だから今、この時期にはこのような勉強をしておくべき」という指導があったようです。塾講師からは「志望校に合格するためには、夏休みの勉強はこのように進めるべき」といった指導もあり、特に普段、塾通いをしていない生徒たち(今回の参加者では多かったようです)にとっては、普段の教室では教えてもらえない貴重なアドバイスが飛び交ったようです。
授業以外で行う補習の重要性
杉並区といえば、皆さんは東京都杉並区立和田中学校が始めた「放課後の塾講師による有料授業(通称:夜スペ)」を覚えていらっしゃいますか。スタート時はかなりTVや新聞で報道されましたが、その後校長の交替や主催していた塾の撤退などがあり、今は騒がれることはなくなりました。批判にさらされることが多かったこの講座ですが、効果の検証については何も聞こえてきません。私は、トータルではプラスの効果が出ていると予想しています。だからこそ、区教育委員会は今回の合同学習会を企画したのではないでしょうか。和田中の取り組みを通じて区教育委員会が汲み取ったものを、全区立中学生に広めたいという意図が、今回の企画の背景にあったことは容易に想像できます。
では、汲み取ったものとは何なのでしょうか。それは「学校の授業以外で行う補習の重要性」です。報道では、塾が学校で授業を行う「夜スペ」ばかりが注目され反発も大きかったようですが、実はこの講座と並行して「ドテラ(土曜寺小屋)」と呼ばれる補習授業も行われています。こちらは、教員志望の大学生などがボランティアで指導にあたっているそうで、主に「学校の授業についていけないが、塾に通うことができない」生徒たちの学習の場として充分に機能しているようです。さいたま市では、新しく当選した市長がこの「ドテラ」実施を公約に挙げたほどで、実際に「ドテラ」を参考にした独自の「補習システム」を自治体として運用し始めています。また、杉並区の新しい区長も公約の中に「全ての区立中学校における補習授業実施の支援」をうたっており、「自分の地域の生徒の基礎学力を確保するためには、普段の学校の授業だけでは充分とはいえない」ことがようやく公言されるようになってきました。もちろんこの背景には、学校現場の忙しさからくる処理能力の限界があり、「教諭がダメだから」ではなく「教諭だけでは処理できないからアウトソーシングすべき」という主張であることを理解しておかなければなりません。
子どもたちに有益な学習環境を
私の立場から見ると、今回の合同学習会開催にあたって区教育委員会は相当な勇気ある決断をしたと思います。我々塾講師の立場であれば「呉越同舟も面白いね」で済みますが、中学校教諭の立場で考えると、「自分たちの職場に場違いな塾講師が来る」という点だけでも反発は当然予想されることです。「自分たちが否定された」と感じる人がいることは想像できますし、その感情は決して不自然なものではないからです。
そんな中、「時代の変化」を味方につけているとはいえ、自分たちの身内である教諭たちの反発を抑え込んでまで、合同学習会を「塾講師を含める」新しい形で開催する意図は、「生徒たちにとって有益であるから」という一点でしかありません。
ゆとり教育による学力低下が叫ばれる昨今、小中学生を取り巻く環境は待ったなしの状況まで追い込まれているといっても過言ではありません。生徒たちのことを考えれば、「塾講師だから」「中学校の先生だから」「親だから」といった大人の立場やプライドは関係なく、全員がタッグを組んで生徒たちに向き合うべきだと思います。
だから、教育委員会の「中学校教諭だけでなく塾講師を入れたほうがよい」という決断には、私は敬意を払います。杉並区のような勇気ある決断を、もっともっと多くの自治体にしてもらいたいと思います。
vol.31 ブンブンどりむ 保護者向け情報誌「ぱぁとなぁ」2010年 10月号掲載